イトウモ

すべての夜を思いだすのイトウモのレビュー・感想・評価

すべての夜を思いだす(2022年製作の映画)
3.9
おもしろかった
『わたしたちの家』が『セリーヌとジュリー』だとすれば、今回は『北の橋』。SF的な実験的、トリッキーさは退いて、ニュータウンの街をうろうろする複数の経路を描く。

①徒歩、自転車、自動車……らの方向性を持った「進む」と無方向の「踊る」の対立。
②画面内のインの音らしきものが画面外(心象)のオフの音と曖昧に入れ替わるサスペンス。

これらの道具立てはより明確なテクニックとして使いこなされるようになったと思う。②に関して言えば、知珠が夏を見つけて踊り出すほとんどこの映画のシグニチャー的なシークエンスはたまらなくどきどきする。
それまでオフの音声に思われたBGMが、夏が踊るためのインの音声に代わり、それを見つけて呼応して一緒に踊り出す視点人物=知珠を通じて観客は他人との出会い、別の宇宙との出会いを体験する。清原にとって音楽とはこの世の外で流れる形而上学の知覚なのだと思う。(今後の作風であのVHSの映像がこうした音楽とコミュニケーションしていくのではないかと思う)

①についていえば、見上愛演じる夏のダンスシーンがどれも感動的である。日常の時間は、清原の映画の中でいつも「進む」運動、方向を持った運動に代表される。それが止まり、ただ止まるのではなく、停止することなく進むことのない運動として「踊り」に変わる。それは逃げるのにも迷うのにも溺れるのにも似ていて、たまらなく感動的である。ここにはモラトリアムへのラディカルな肯定がある。

一言で言えば、これは暇の過ごし方についての映画だ。仕事をやめたり友人をなくしたりしてぽっかり空いた何をしたらいいかわからない時間。そこに痛み止め的な消費活動やそれを媒介するスマートフォンは登場しない。代わりに彼女たちは音楽の中で踊り出す。清原の芸術は暇の中で心地よく踊るための作法に見えた。
それは成長すること、老いること、朽ちること、死ぬことに対抗するためのモーメントになる。