しょうた

せかいのおきくのしょうたのレビュー・感想・評価

せかいのおきく(2023年製作の映画)
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ああ、面白かった。だが、なぜだろう。この映画のことを思い出すとサイレント映画のように思い出される。
モノクロであること、字幕が多用されること、ヒロインが途中から声を失うことが大きな理由ではある。
だが、それだけではない。映画という表現が発見され、映画を観ることの新鮮な歓び、サイレント映画の時代にあっただろう、そうした映画の原初的な力、豊かさがあるからではないか。
ロッセリーニの「神の道化師、フランチェスコ」もモノクロだったが、中世イタリアにキャメラを持ち込んだようだと評された。それは映画のマジックとも言えそうだが、同じような感慨をこの映画に感じる。江戸末期にキャメラを持ち込んだようで、とても2022年に撮られたようには思われない。時代考証がどうとかいう次元とは別の話で、その世界に浸らせてくれる力を持った映画だ。

個人的にこの映画を面白く観たのは、今の職場が葛飾区にあることだ。映画では、木挽町、馬喰町という今の中央区あたりの地名が出てくるが、それらは江戸の地名として語られる。対して、今の葛飾区あたりは葛飾領と呼ばれ亀有村は今のこち亀で知られる亀有だ。葛飾が下町とは認識していたが、完全に江戸城外のど田舎だったとは発見だった。

そして、敢えて現代に照らしていえば、この映画で描かれるのは、身分社会、格差社会へのささやかな、しかし宝石のような抵抗だと思った。自分(たち)の属しているのは「世界」であるという認識は、私(たち)という「個」の自覚とも通じるだろう。
男性は職場などの社会組織を第一義の所属としがちだが、女性はもっと個人的で自分に正直であり、それゆえ「世界」に所属している。だから、「せかいのおきく」なんである。

(追記)そういえばフィンランドの「コンパートメントNo.6」には、「女性は賢い生きもの。自分の中にものを見て判断する基準を持っている」という意味のセリフがあった。

(追記2)ユーロスペースの客の入りはいまいちで静かだった。この映画はたくさんの観客とともに、笑ったり泣いたりして観たかったな。
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