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しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜のしののレビュー・感想・評価

1.8
この作品とは根本的に相容れないかもしれない。「頑張れ」って、そういうことなんですかね? 大いに疑問。

2023年の日本社会を舞台にしようとすると流石にこの国の「お先真っ暗」さを無視できなかったんだろうと思うし、そこを真正面から扱ってクレしん映画なりのアンサーを出そうとした姿勢は評価したい。が、キャラクターに主張を言わせてる感がキツい。

風刺的な内容にするのは全然良い。そもそも原作からして風刺漫画の要素があるわけだし。ただ、まず非理谷の非リア造形がステレオタイプすぎないかと思う。ここでちょっとイヤな感じがするのだが、まぁクレしんらしい極端なカリカチュアライズとして看過するとしても、であればクレしんの悪役らしいお茶目な部分があっても良かった気がする。3DCGになったのも相まって諸々リアルになってしまい、たとえば立てこもり事件なんかはどういうテンションで観ればいいのか分からなかった。

一方、ヌスットラダマスはクレしん的悪役なので、こちらにお茶目要素を担わせるのかと思いきやあまり活躍しない。結局、テンポの良いギャグでなんとか見せてるだけの印象だ。つまり全体的に「リアルな社会課題を滑稽に描く風刺」というより「リアルな社会課題を描いて、重くなりそうになったらおバカギャグで中和する」みたいな描き方にしか見えないのだ。そうなるとクレしんがダシに使われている感がめちゃくちゃしてしまう。もっと上質な風刺をやった過去作を観ているわけだし。

しんのすけに関して言えば、終始世界を救おうとも悪を倒そうともしていないという線引きを守っているのは良かった。とぼけたことをやっていたら結果的に何かを救っているのが彼なわけで。

だから、終盤の展開はあざとさが際立った。正直、ここでやりたかったことはよく分かる。「永遠の5歳児」と反対に成長していく非理谷の構図。それでもしんのすけは彼にずっと寄り添って仲間だと言ってくれる。それってクレしんというコンテンツと視聴者の関係性そのものだ。ならば、もっとおバカでマジカルな解決が欲しかった。そもそもいじめっ子を一緒に倒すというイベント自体が昭和的で古いし変にリアルだし。

そして一番ひどいと思ったのはラスト周りの全てで、これは本当にダメだと思った。大人たちがセリフでメッセージを連呼しまくる下品さはこの際置いておいて、非理谷に対して彼らが投げかける「頑張れ」が応援のようで完全に逆効果にしかなっていない気がして、観ていて非常に居心地の悪さを感じた。ここでは「お先真っ暗」な日本にどう立ち向かうかの回答が巧妙に有耶無耶にされている。つまり、「寄り添ってくれる他者」が一人でも居てくれたら人は頑張って生きていける、という話とセットで「頑張っても報われない社会にしたのは誰か?」という話をすべきなのに、そこが混同されているのだ。「君はまだ若い。誰かのために頑張れ」というエール自体は真っ当でも、そもそも非理谷は割と頑張っていたと思うし、あのバックグラウンドからして公的な助けも必要だろう。しかもわざわざ「我々の世代が問題を先送りにした」という台詞を入れておいてその着地をするのは欺瞞的ではと思う。

こうなると、風刺としてのクレしんらしからぬ不出来さや、いじめっ子倒すイベントの古さなど、諸々の辻褄が合ってしまって、これって今の日本を作り上げた大人がクレしんの「おバカさ」をダシにしていかにも良い話風に言い訳をしているだけなのでは? という見方もできてしまう。そもそも、ひろしと非理谷は年齢的に4, 5歳しか変わらないはずなのに、ああいった「次世代へのエール」みたいなことをやらせるあたり、やはりキャラクターを都合よく使っているだけに思える。悲しい。

そういったテーマを抜きにしてビジュアル面を語ろうにも、正直3DCGである意味があまり感じられなかった。題材が変にリアルに見えてしまう効果の方が強く、もしかしたらそれが「リアルな社会課題のなかで確かに存在し寄り添ってくれる野原家」の表現として機能し得たのかもしれないが、するとやはり風刺の不出来さと終盤のあざとさの問題に行き着く。少なくとも、あのエンドクレジットや恒例の次回予告の映像で「あーこれこれ、やっぱこっちの方がいいよ!」となってしまった時点で、企画としてどうなんだと思う。

ギャグ自体はテンポが良く、グイグイ動くカメラワーク、メタ的な見方ができるクライマックスからの”真っ当な“メッセージ、そしてサンボマスターのストレートな主題歌と最高のエンドクレジット……というコンボでやられる人はいるだろうが、その陰にまさに今の日本を作り上げた欺瞞が隠れている罪深い一作だと思った。今年のドラえもん映画もクレしん映画も、いつにも増して風刺的なのだが、キャラクターがメッセージ主張のための駒でしかないような作りになっている。これは由々しき問題だと思うが、つまるところ作り手側に心の底から未来を信じている大人がいないからこうなるんじゃないかと邪推してしまう。美談で有耶無耶にするからこういう日本になったんじゃないのか。「こんなしんちゃん、見たことない。」のキャッチコピーはその通りだった。確かに見たことない。そして見たくなかった。

※感想ラジオ
【酷評】大問題?悪い意味で見たことないクレしん映画『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 とべとべ手巻き寿司』 https://youtu.be/xcTuqV02PiM
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