アランスミシー

君たちはどう生きるかのアランスミシーのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
5.0
本当に本当の最後のお別れ。
ヒトの考え得る完璧な集大成。
これ以上何があり得ただろう
カイエ誌は何が何でもこの映画を今年度ベスト1に選ばなければいけない。

1回目の鑑賞で腑に落ちなかった人は以下の文章を読んでから是非もう一度上映が終わってしまう前に劇場に足を運んでみて欲しい
必ず見える世界が変わるから。

鑑賞回数未だ1回
【ログライン】安全志向→挑戦志向

〜人類を主人公と見立てた場合〜
幾度となく繰り返された火災(物理的には火事、精神的には国家の変革)という歴史を体験して以来、”拘りのある対象を喪失する恐怖”から自然の醍醐味・諸行無常のシンボルであった”火”という「生と死を司る純粋無垢な元素」を遠ざけるべく「建築という物理的な意味においても、自然崇拝という精神的な意味においても重要な象徴物」である”木”を捨て、独裁や保守の象徴である石造orコンクリート建築にシフトして安全志向化してしまった人類。
それは結果的に建築のみならず政治においても保身のために支配政治を強めていった歴代の独裁国家から現代日本における既得権益にへばりつく永田町の老害たちを筆頭にした保守コミュニティまでをも生み出してしまったのだが、そんな人類史における独裁政治が生み出した最悪な歴史”第二次世界大戦”中のある日、疎開先の山奥で数千年の時を超えて火魔法使いの少女が新世代を代表する少年・牧眞人の前に現れる。果たして少年は後継者として権力&階級支配という安全安泰への誘惑を突っぱねて、再び人類と、そして自然界と共生する道を選択できるのか?
その手始めとしてまず少年は、現代支配政治の象徴である資本主義・保守主義陣営を代表するサギ男ならぬサギ師に文字通り一矢報いるべくインディアンや原始人のシンボルである矢を放つのだが…
↑パラサイトでもお馴染みインディアンの弓矢


この映画は全ハヤオ作品の集大成と言って間違いない。
これができるのはほぼ全ての映画で毎度同じ「反独裁」をテーマに作り続けて来たハヤオだからこそ可能な構想。

【以下寓喩・メタファー解説】

第二次世界大戦=ベトナム戦争

世界的に勃発したベトナム反戦運動という革命の火に呑まれて、母は「資本主義思想から抜け出せず戦争に武器提供(戦闘機の風防作り)という形で加担し続ける父親」と離別し、息子である自分を捨てて共産主義国家に去ってしまった(=火災による母の死)が、母の失踪を単純に憎めない自分の心のモヤモヤと、格差社会で生きる事によって引き起こされてしまうイジメという悲しき問題を前に、母の真意を探るべく夏子を追って槙眞人は塔の中へ導かれる。

石で自分の頭を傷つける主人公
=富裕層であることによる自分と周囲との格差が如何にしてこのイジメを引き起こしたのか?(その原因である資本主義のシンボル)石によって自分の頭を殴り傷付けるも、父はその真意をまるで理解せず、解決ではなくむしろ復讐に走り、一見加害者に見える本当は被害者でしかない子供たちの名前を聞き出すという愚行に走る。

隕石衝突=日本にも起きた共産主義革命。しかしそれは勝者であるアメリカの犬(警察&自民党政府)によって石で覆われて(歴史教育から抹消されて)しまったが、その歴史を辿って行けば、中国やソ連の革命時代とも通づる、人々が本気で愛する人と自分の為に自由を求めたかつての記憶へと導かれる。

隕石衝突によって生み出された自然の塔を覆う人工の塔=革命の隕石によってまっさらになった日本の大地(社会システム)に物理的にも精神的にも建設された資本主義国家。
その塔の地下には(負の歴史としてしか語られないが故に現代の子がアクセスできない)真の自由を求めた革命の歴史が眠る。


石器時代〜創世記〜現代へ
墓と同じ悪意のある石=
墓として作られたピラミッドと同じ悪意(=独裁という目的)を持つパルテノン神殿やコロッセウムや古墳やナチス建築やファシズム&共産党&軍事独裁政権における指導者(ムッソリーニ&スターリン&毛沢東&タイ国王ら)の石像etc

石=古代エジプトから始まる人類史上、支配国家を存続させる目的で造られる象徴的建造物の材料として扱われた結果、皮肉的な意味を持つ羽目になってしまった悲しき自然界の元素。それ以降もギリシャ時代の神殿、ローマ帝国時代のコロッセウム他遺跡、古墳時代の古墳に使われたが、これら全ては「自然崇拝」とは対照的な「特定の人間」を崇める目的で奴隷たちに建造させてきた歴史を持つ。

終盤のモーゼの十戒でお馴染み出エジプト記の「割れる海」シーンはまさにこの古代エジプトの独裁への対抗としての象徴ショット。
古代エジプトから第二次大戦まで世界の支配政治という悪の歴史に幾度となく巻き込まれて来たユダヤ人にとってのシンボル的演出の引用

木=ケルト文化や日本神道など自然信仰文化に見られる象徴物かつ、人類にとって生活の最大の友として扱われて来た純粋無垢な元素。

自然崇拝=人類に階級社会を齎した悪の石器文明とは違い、人間よりも上には常に自然の摂理が伴うという分別を忘れないように人々に説き続けた汚れなき宗教

火(ポジティブな意味)=民意の変化による君主の交代=選挙や反乱や革命=民主主義
火(ネガティヴな意味)=火災・山火事・大火=火の車=国家の実力的or経済的衰退→ナチスも大日本帝国も経済的衰退から生まれたという事実から分かるように経済的衰退は独裁者を生みやすい。だからこそそれを恐怖の対象として見ずに自然の摂理として受け入れよ、でなければ人はすぐに独裁の誘惑に負けてしまうとハヤオは訴えかける。まさにウクライナ紛争を招いたプーチン政権も同様の流れ。
実際のインタビューにて、ほぼ一党独裁状態である現代日本政治に対してハヤオが語った”若者が選挙に行くことの重要性”とも繋がる(例のインタビューは10年程前のもので時既に遅いが)
投票率の低下=非民主主義

水=石の天敵(木は水を吸収し放出するバランスの取れた流動的な素材だが、石は水を塞き止めそれが溜まると決壊する)
水=民衆の不満=石で堰き止めるとダム化して一気に決壊してしまう

土→徒歩
水→泳ぎor船
風→鳥or飛行機
火→❌火を克服する生物は未だ居ない(ヒミを除いて)

鳥=自由の体現者
途中飛べなくなった青鷺は、自由を白人至上主義や保守陣営の独裁のために利用してしまった結果自由の効力を失い羽ばたけなくなった事を意味。

インコ=共産党員、元は本来の自由を手にするべく革命に尽力したが、その後悲しくも指導者の元でせっかくの羽を使うことなく檻の中で飼われる囚人状態になってしまう。という多くの共産主義国の負の歴史。
インコ王と大叔父さんの関係=ソ連とアインシュタイン(相対性理論による原発技術開発)の関係

キリコの居た死の島(フロイトやレーニン、ヒトラーらにも影響を与えた糸杉の木立が柵で覆われた島の有名絵画)
=現代日本

ペリカン=少子化問題よりも自分たちの保身の為に高齢者向けの政策を求め投票する老害たち?or死の島の扉を開いた加担者であるナチスを生み出したドイツ国民?

そこに放たれるヒミの火=既得権益破壊という小さな革命
ヒミの火によって死んでしまった生まれて来るはずの命=革命による一時的な経済停滞によって減ってしまう出産率も長い目で見れば仕方のない犠牲。その火がなければ少子化はどんどん深刻化していくのだから。

《四大元素》
水使い=キリコ
火使い=ヒミ
土使い=大叔父さん、牧眞人(主人公)
風使い=青鷺、ペリカン、インコ
風=過去ハヤオ作品では羽根や空が自由の象徴として、独裁(米国保守主義や中国共産党)への対抗として描かれてきたが、リベラル派までもが資本主義に身を打ってしまった今、ハヤオは風ではなく、火(原初的元素)を最後の希望的元素と決定して使用

建築=社会体制(システム)
木造vs石造(コンクリート)=民主主義vs独裁主義

《メッセージ》
火を恐れず木を使い続けよ!そして石も”悪意のない使い方”をすれば必ず平和な世界を齎す事ができるはず。
つまり、民主主義を支える木と並行して、石の要素の一つである資本主義もうまく使えば平和に活用できるはず!
→この[石=資本主義、洪水=不況]という寓喩もパラサイトと一致!

『君たちはどう生きるか』=ラスト主人公が手にした木のお守りと石の積み木という選択肢(=木と石という人類史において精神的にも物理的にも最重要な価値を持つ2つの元素を支配に使うか共生に使うかは君たち次第)

全世界に繋がるドア=全世界の芸術史&哲学史&社会運動において反独裁をテーマに掲げて活動して来た人たちのネットワーク(ハウルの動く城からのセルフ引用)

主人公:牧眞人 =次世代日本人
大叔父さん  =アインシュタイン(現代科学の父)orロスチャイルド(ユダヤ資本家)
アイン=ドイツ語で1つの
シュタイン=ドイツ語で石
あらゆる本を読み尽くした=原発から原爆まで現代科学のあらゆる主軸となったアインシュタインの発明、現代資本主義経済の仕組みを作った人間界の秩序を守る役目のロスチャイルド(パレスチナ問題含め負の側面も抱える)
キリコ    =大田朱美(ハヤオの妻)
サギ男(青鷺)=サギ師
種としての青鷺=ビジネスマンという資本主義を象徴する白黒つかないグレーな職種(青鷺はみんな嘘つきだけど俺は嘘つきじゃないと鈴木敏夫は主張)
牧正一=資本主義にズブズブにのめり込んで抜け出せなくなった敗戦から80年経った現代日本政府
ヒミ=歴代ハヤオ映画の自由の女神の象徴であった少女たち(ジブリプリンセス=クラリス、ナウシカ、シータ、キキ、ポニョ、)の集大成だが、学生運動敗北と同時にその革命の戦火と共に沈静され潰える。
夏子=ヒミがついに自由という意志を失い大人と成り果ててしまった姿。そして彼女のお腹に宿った子供とは実は主人公牧眞人自身。
ラスト夏子の事をお母さんと呼ぶのは、夏子はかつてのヒミであり、未だ心の片隅に自由という意志が残っている事に主人公が気付いたから

出産よりも自分の夢の実現や社会的自立に目的が変化してしまった現代少子化社会日本の女性代表かつ、違う腹から生まれた子供(移民)を受け入れられない日本人の心?

【内輪ネタ寓喩解説】
この映画は実は、社会問題をテーマにしていると同時に、ハヤオ自身が築き上げたジブリ王国を一つの国家と見立てた孫に対するメッセージ映画という二重構造になっている。

主人公:牧眞人 =ハヤオの孫
大叔父さん=高畑勲
あらゆる本を読み尽くした(=古代から現代までのサピエンス全史における独裁の歴史を知り尽くしアガリビトとなって社会の均衡を保つ使命に転じた黄泉の世界の住人)
キリコ    =大田朱美(ハヤオの妻)
サギ男(青鷺)=サギ師(ビジネスマン)=鈴木敏夫(ジブリ王国プロデューサー)
種としての青鷺=ビジネスマンという資本主義を象徴する白黒つかないグレーな職種(青鷺はみんな嘘つきだけど俺は嘘つきじゃないと鈴木敏夫は主張)
インコ王ゴロウ=宮崎吾朗(ルールに縛られてばかりで自由意志がそこに無いまさにジブリパークやゲド戦記の制作に追われる息子吾朗の姿)
牧正一    =プライベートでの宮崎吾朗の顔
ナツコ    =宮崎吾朗の妻?
ヒミ=卑弥呼=ハヤオが望む孫の結婚相手?
インコ    =ゲド戦記アニメーター&ジブリパークスタッフ(宮崎吾朗が右を向けと言えばオウム返しするみたいに呼応して宮崎駿の命令に従って来たスタッフ=人に流されて活動してるリベラル派)

→神殿内の庭園を目の当たりにして「綺麗〜天国だ〜」と言ってるのはまさにハヤオ引退以降ジブリパーク制作に湧いて集まって来た中身のない自称ジブリオタクたち。
現実の自然とは彼らが望むような美しさではなく、諸行無常さ(生と死)を体現したむしろ残酷さを兼ね備えたモノ。時には山火事で一帯がゼロに戻る。それも含めて自然であるという事がエセジブリファンには残念ながら届かない。

この映画は人類文明史の寓喩であると同時に、ジブリ王国の後継問題を寓意した物語。
そして孫である主人公ははっきりと現世を司る大叔父さんが担うポストの後継への指名を蹴って、自分は自分の世界で生きると突っぱねる!
「僕は青鷺(ハヤオにとっての鈴木敏夫の存在)やヒミのように新しく友達を作って共に世界を歩く」と

これはまさしくハヤオが息子ゴロウに求めていた事であるはずだし、劇中のインコ王ゴロウは最後にその積み木を主人公である孫の前で壊してしまった反面教師として描かれている。

更にハヤオは今作で吾朗率いるジブリパークスタッフとは真逆の組織体制を実演していた。
それは今までに使った事のないタッチをアニメーターに自由に描かせた事。
オープニングの火のシーンの大平晋也的タッチ、細田守的タッチ(目が点になる部分やカメラワークも含む)、アオサギの今敏&エヴァ的タッチ、アリエッティ&マーニー的川辺シーンのタッチ、新海誠的タッチなど
制作体制でまでテーマを表現するとか正気の沙汰じゃない

弓矢=原始人orインディアン=共産主義(時代の逆行)or米国におけるカウンターカルチャー(ヒッピー&リベラル)
青鷺vs弓矢=米国資本主義vs共産主義=文明社会vs原始時代
弓矢の刺さった青鷺=リベラル派によって説教された保守派。
弓矢の傷の手当て=旧資本主義の偏向によって座礁してしまった船の穴塞ぎとしての社会福祉&補助&新自由主義への転換

すずめの戸締り、MEMORIA、指輪物語