宮﨑駿の走馬灯のような夢だった。
これを意味不明の駄作だとか、タイトルとの関連がないとかそんなことを言っている人が周りにいてとても悲しくなった。
自分がわからないことに出会った時に
価値が無いと割り切れる潔さちょっと羨ましくもある。
でも私は、ゾクゾクした気持ちを誰かと分かち合いたくなった。
きっとあれは夢だった。
いつから夢だったのかはわからないけれど、夢は突然に不自然に終わった。
バタンと扉が閉まって突然終わった。
夢が途切れて青い画面にたくさんの人の名前が連なって流れてきてアレは夢だったのだな…と受け入れるしかなかった。
どれだけ待っても夢の続きはない。
夢の続きは見られない。そんな当たり前のことを受け入れるのに、青い画面が終わるまで時間がかかった。
たくさんの人によって見せてもらった夢だったんだな。と冷静に思った。
ゾクゾクした人と意味不明と感じた人の違いは何だったんだろうかと考えていた。
エンタメというのは「ストーリーを説明してくれる作品」が多い。
それが普通になってしまうと「ストーリーを自分でみつける作品」はつまらないし、「意味不明の駄作」になってしまう訳で、まさにそれだった。
エンタメに慣れすぎて児童文学の世界を泳ぐ方法を忘れた人はきっと多い。
この映画は宮﨑駿が観る私たちを信じて投げてくれた高速球で、
「これくらい取れるだろ?」って信じて投げてくれた球だったよね。と友人が言っていてそうだな。と思った。
最後の作品で観る側の想像の力を信じてくれたんだろうなと思う。
ワタシはなんでこんなにゾクゾクしたんだろう。説明には不十分するぎるセリフたちばかりなのに、そのどれもがグサグサと刺さった。
理屈とかの外側で比喩として感覚的にすべて分かってしまう。
特に13個の石のくだりがすごく突き刺さった。
私は訳もわからずボロボロ泣いてしまって、
意味はわからないのに全て理解して絶望していた。
そして最後にみんなそれぞれ別の扉を開く時。
その時もボロボロと泣いてしまった。
その選択がいつか辛い結末になると解っているのに、会いたい人に会うために彼女は迷いなくその扉を開けることを選択した。
本当はわんわん泣きたかったのを我慢していたらホロホロと余計に沢山の涙が溢れてしまって困った。
誰も彼も、それぞれの扉の向こうで必要な生活をしていた。
自分がみた夢を誰かに解ってもらうことはできない。
夢って見ている途中は訳がわからない世界なのに、目覚めると理解できる。
そんな映画だった。
完結しない物語を持って帰らせてもらえたようで、
私は日が経つほどに、あーそういうことだったのか。
と腑に落ち続けている。
私は「君たちはどう生きるか」というタイトルのまま、宮﨑駿に質問されているように思う。
夢には
日常で実際に起こったことや、言葉にできないけど、伝えたい気持ちとかが現れる。
どの人物キャラクターたちも、どのシーンも元を正せば宮﨑駿の夢の中の出来事なので、他の映画のあれこれの模倣ではなくこれが原本じゃないかと思った。映画の中で全てのジブリファンが感じた既視感の正体。
そんなことを一瞬にしてまとめたら宮﨑駿の走馬灯のような夢だった。と友人に言っていた。