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シティーハンターのVisorRobotのレビュー・感想・評価

シティーハンター(2024年製作の映画)
3.8
家で、Netflixで見た。
話としてはなんということもない。そもそもシティ・ハンターに明るくないが、エンジェルダストってそういうことだったのか、今回の映画向けの改変だったのかもよくはわからない。

俺は、アクションについては、どちらかといえば興味のないタイプの人間である。格闘技とかも一切興味ない。スポーツ全般あんまり見ない。敵があんなに大勢いるのにあまりにだらしないと思った。とはいえ、そんなこと言いだしたらMIPとか見れない。

逆に言うと、去年見た『MIPデッドレコニング』の7垳くらいの面白さだったのでかなり頑張っているのだと思う。予算感は違うはずだし、デッドレコニングはこけたので続編作られないらしいし。

ジョン・ウィックとかは見ていないので、ガンカタとしてどのくらい追いついていたのかはわからない。

本作で思ったのは、「偽物の欲望に駆動される男性主体」というものについてである。鈴木亮平の怪演と肉体改造(とオフの英語力)で最も注目を集めた本作。冴羽獠というキャラクターは、一見スケベで軽い男がやるときはやるし無敵、というルパン三世の系譜に属するキャラクターである。

しかし、その欲望がホンモノの感じはまるでしない。本当は女体にもグラビアにも興味がないのにまるでそうせねばならないという義務のようにして「もっこりちゃん♡」と鼻の下を伸ばし、グラビアDVDを捨てられそうになるともだえる。

中身のない空虚なフリを演じる設定の集積した装置のようなもの=キャラクター。しかし、そのキャラクター性こそが高度成長期から連綿と続き、今雲散しようとしている「男性らしさ」ではないかと思うのだ。

いくらでもお金があっても、いくら美女とベッドインしても、できることはたかが知れているし、どこかであきる、だから浮気する、ことはわかっている。しかし、駆動しなければならない、欲望の原理を駆動させることが社会から要請される──というより、「そういうもの」だと決められて疑われていないのだ。

だから獠ちゃんは美女にセクハラをし、お約束としてぶん殴られ、幼性をむき出しにしながら成長しないという点において老成しきったかのような、しかしその本質はただ空虚なキャラクターとしてシティーハンターを続ける。

その姿は、東横キッズやコスプレ会など現代の環境を反映させながら、依頼は旧来の駅の黒板、という時代感の矛盾を「そういうもの」だとして特にエクスキューズなく描く本作の「日本」のようだ。
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