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悪は存在しないのVisorRobotのネタバレレビュー・内容・結末

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

フォーラム仙台で見た。濱口監督作品では、『ドライブマイカー』と『偶然と想像』は見た。それ以外は見てない。

正直、『ドライブマイカー』と『偶然と想像』はそんなにはまらなかった。たとえば俺は吉田恵輔監督作品が好きなのだが、ああいった俗で、視点人物がどうしようもなく馬鹿でもわかる、と思う話の方がずっと好みだ。劇作家とか、大学教授とか、その時点ですっと心が引いてしまう感覚がある。

そんなやつら、関係ねえよと思ってしまう。

だから本作がかなり面白く見れたのは、俗人たる高橋と黛の存在のおかげがかなり大きい。ほとんどパンサー尾形みたいな高橋のふくれっ面、人間の小ささ、(さりとて悪人ではない純粋さ)。黛の声の小ささ、どこか何もかもを他人事と考えているような責任感の欠如。

人間はそういうもんだよなああ、とうれしくなってしまう。

もしかしたら、人間はそういうものではないのかもしれない。俗事にとらわれず、ひとつひとつ石を積むように毎日を丁寧に生きることができる人間がこの世にはたくさんいるのかもしれない。

物語の第二幕にて、高橋と黛がまるで「オリンピックや万博のグダグダもこうやって生まれたんだろうなあ」と想起させるようなガチガチに決まった構造と、そこで上から流れてくる呪いみたいなものに翻弄される様を見て、「悪は存在しないってそういうことかよ!」とニヤリとする。

ようするに、システムによって、仕事だから、悪いものを生み出してしまう不都合な構造があるのであって、人間が悪いのではないという話。

ただ、3幕目の展開は、見た人にはご存じの通り、そういうものでもなく進む。俗事から離れ、システムから距離を取って生きる巧は、時間という尺度を忘れ、娘を見失う。探し当てた平原で、手負いのシカと対峙する娘。そこに駆け付けようとした高橋を締め落とす巧。「あんまりシカを刺激すんな」というとっさな感情の発露だったというのが俺の解釈で、巧自体が悪意を持って高橋を始末しようと思っていたとはあまり思わない。もちろん、あんなに締め落とす必要はなかったので、フツフツと胸の内にたまっていたむかつきが、つい勢いづかせて、身体が”やっちゃった”のではないか。

そして、うろたえ、くらい森を花を抱えて荒い息遣いで走る巧のカットで、冒頭と同様、森の木々と空を移して話は閉じられる。

花の目線から、あんなにはっきりと美しかった木々は、夜には闇に埋もれてしまい図も地もあいまいにまじりあってしまう。

>もしかしたら、人間はそういうものではないのかもしれない。俗事にとらわれず、ひとつひとつ石を積むように毎日を丁寧に生きることができる人間がこの世にはたくさんいるのかもしれない。

・・・・悪は存在しない、ゆえに善も存在しない。

人間は動的平衡を保ちながら常に変化し続けるほかなく、やっと手に入れたと思った清い水の流れも、上流に変化が起これば澱んでしまうかもしれない。


やっぱり車の中での会話が面白くて、文章を映像にしたような映画をとるよなあと、前二作の干渉経験から思った。だからこそ、娘がいなくなる→「見つかってハッピーエンドor見つからなくてバッドエンド」の二択ではない結論として、最後の展開に至ったのは、物語の骨組みがむき出しとなる、文章という形式に近い映画、だからこそ、納得いく。

薪割りから小屋へ運ぶまでを一つのカメラ位置で回転しながらの視点とか、クルマ視点とか、ヤマワサビ視点だとか、本作について指摘されがちなカメラの位置の独特さも、本質が映像ではなく物語そのものにある作家だからこそ逆説的にできた遊びではないかと思う。
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