救済P

映画 すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコの救済Pのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

すみっコぐらしファン歴7年

1作目ほどの衝撃には遥かに及ばないが2作目よりはやや面白いといった立ち位置。

シナリオ以外について。
劇伴のクオリティがかなり高い。緊張感を煽りつつ、それでいて耳障りではない絶妙なラインのサウンドがうまく配分されている。劇伴だけではなく、歩行時や着地時の効果音など、サウンドの1つ1つが自然でいて心地よかった。

すみっコたちの仔細な日常風景が描かれている点も嬉しい。1作目はほとんどが絵本の中の、2作目は魔法によるファンタジーに尺が割かれていたが、本作はあくまですみっコたちの世界で完結した行動によってストーリーが進行するため、すみっコたちの日常に根差した言動が垣間見えて微笑ましく嬉しかった。

シナリオについて。
強制労働にMVPといった評価制度など、容易にプロレタリア作品として読むことができるが、工場破壊後に労働をしていたころを懐かしく想い、哀愁を感じているという点で、今作における「労働」はテーマの座を離れ、あくまで、すみっコぐらしというコンテンツそのものの根幹思想である、「忘れられるということ」がテーマに据えられていると感じた。

「人々から忘れられること」によって生命を得たすみっコたちがすみに集まることで極めて良好な関係を築けている一方で、仲間に恵まれなかった工場が暴走し、すみっコと敵対する展開は、『ドラえもん』などでも繰り返し用いられてきた古典的なやり方ではあるが、すみっコぐらしにおいてははじめて敵意を持った存在が描かれたという点で新しかった。

クマ工場長が工場の意志の依代でしかなく、クライマックスまで正体が秘匿されていた点も映画的で見応えがあるが、どんでん返しに相当する正体判明のシーンが、物語の「謎」として機能していた鍵付きの部屋への侵入というビッグイベントをきっかけとしていながら、精神世界(=なんでもありの空間)で解き明かされていくので、シナリオ力の低さを感じた。

加えて、エンドロールにおける工場が映画館として再起していく過程は、私たちが今こうして映画館で感情を抱いているように、すみっコたちも同じように想い、生きている、インタラクティブな空間として映画館を利用していて上手かったが、エンドロール後の「もしかしたらあなたが今いる映画館も…」的な演出は圧倒的に蛇足だった。我々は工場としての機能を持ってすみっコと交流をした「工場」に思い入れがあるのであって、それがエンドロールで生まれ変わった姿である映画館が、今いる場所として提示されたところで「だからなに?」でしかなかった。プリキュアや劇スをはじめとして、「映画館で観ること」がギミックとして機能する映画は多くあるが、それらがギミックとして成立するには当たり前だが「映画館で観ること」に理由が求められる。本作は、映画館となった工場内で映画を観ることが、工場の憂鬱であった「人々から忘れられる」ことを解決する要因になっておらず、ギミックとしてうまく機能していないように感じた。

細かい点では、
・とんかつを複製した機械があるならおもちゃを2体以上手作業で作る意味が不明瞭
・主題歌が作品テーマとあっていない
・全体的にナレ、セリフによる解説が多く、説明ありきで話が進行していく

などが不満として残った。

アクションシーンや、すみっコたちの善意や好奇心が逆手に取られ、敵対者に利用される展開は今作固有の魅力であり、決して駄作とは言えないが、セリフの多さやよくわからない演出によって傑作とも言えない位置に落ち着いてしまった。
救済P

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