KnightsofOdessa

Libahunt(原題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

Libahunt(原題)(1968年製作の映画)
5.0
[エストニア、陽光の煌めきと妖しの森] 100点

人生ベスト。レイダ・ライウス(Leida Laius)監督三作目。アウグスト・キッツベルグの同名戯曲の映画化作品。暗闇の中で月光を反射する水面。墨のように暗い森と顔を明るく照らす松明の光。物語の舞台は19世紀初頭のエストニアの農村。タンマル農場には跡取り息子マルガスと彼の幼馴染で婚約者マリ、そして幼少期に養子としてやって来た活発なティーナがいた。三人は仲良く10代後半まで育つが、マルガスはティーナに惚れていて、嫉妬したマリはティーナが狼女であると告発する。ティーナの母親は魔女として村民たちに殺されていた。"狼女よ!"という言葉が三度繰り返される中で、住民たちは次第にティーナを取り囲み、ティーナは村から森の中へと逃げ出す。マルガスは彼女を追うが見つけられない。そして、村に残ったマリ、ティーナを思い続けるマルガス、泣きながら逃げ惑うティーナの目線で過去と現在、現実と妄想を縦横無尽に駆け巡る。本作品の美しさは、まずライティングにある。モノクロ世界の中で陰影を強調するライティングは森を真っ暗で妖しい世界として幻惑的な魅力を与える他、村人全員の着る白い服、マルガスとマリの金髪とティーナの黒髪を否応なく際立たせる。また、三人が世話になった物知りの女性(彼女もまた"魔女"なのかもしれない)と登場シーンでは、アドルフォ・アリエッタ『炎』くらい真っ暗な背景の中に、真上から淡いスポットライトで照らされたかのような老婆が浮かび上がる。ひたすらに美しい。これは明らかにサイナル・サルネ『ノベンバー』の原典の一つだろう。

村人が迷信を信じやすく、根拠のない告発でティーナ母娘を村八分にする姿は、共産主義という"宗教"に洗脳された人々を揶揄している。エストニアは13世紀のリヴォニア十字軍の一環でキリスト教が伝来し、以降はプロテスタント系の教派が主流となった。本作品でも異端としてティーナの母親を処刑したり、教会で礼拝したりという姿が描かれ、彼らエストニア人が同胞を迫害する様が克明に描写されている。また、ティーナはその幼少の頃から知的で自立した女性として描かれている。特に毒蛇(実は『Tavaline rästik』というエストニアに生息する毒蛇のドキュメンタリーがあるんだが、もしかすると同じ蛇かも?)に噛まれたマルグスを足を持って毒を吸い出すシーンでは、魔女としての扱いを受けるだろうことを予見しながらマルグスを助けるというティーナの強さが描かれている。だからこそ、家父長制社会を維持するためには彼女を追い出すしかないのだ。レイダ・ライウスが女性として経験したことも反映しているのかもしれない。

原作戯曲では森に逃げたティーナは5年後に狼の群れを引き連れて村に戻ってくる。そして、マリと結婚したマルガスが散弾銃で一匹の狼を倒すと、それがティーナであり、マルグスの腕の中で亡くなるという。しかし、本作品ではエンディングが異なる。三日間森の中を彷徨ったティーナは自宅に戻ると、そこには食事をする家族がいた。マルガスは彼女を助けようとし、ティーナも彼に"一緒に逃げよう"と誘うが、他の家族の反対でマルガスは力なく座り込んでしまう。共同体が自身に降りかかるあらゆる不幸の根源を彼女に押し付けた瞬間だった。
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