だって、一緒に暮らしているんだから。あなたを食べさせるためにわたしは身を削ってこんなに働いているんだから。
コットの両親だって、子供たちへの愛情はゼロじゃないと思う。でも、それを伝えようとする意欲がないくらいに疲弊しているみたいだ。おそらく、自分が機嫌良く暮らす術を教えてもらえないまま、学ぶ機会もないまま、親になってしまった人たちなんだと思う。
コットがひと夏を過ごした家のおじさんとおばさんは、「自分は大切にされている」という実感をくれた。誰かから大切にされたことがないと、自分を大切にすることもできないと聞く。コットはこの夏に、生きていくための心の栄養をたくわえたのだと思う。
コットの家にいつも響いている幼児のぐずる声が切ない。その子もずっと不機嫌なまま大きくなっていくのかと思うと、胸が痛くなる。
コットより大きい子たちは、連帯とイジワルを身につけて、それなりにたくましく大きくなったみたいな感じがする。でも、たぶんもっと大人になるまでに、自分の中にある満たされてないなにかと向き合う場面がたくさん訪れるんだろう。
コットが初めて強い意思表示をすることができたラストには涙が流れた。でも、他の子供たちのことも気になってしまう。きょうだいが順繰りにあのおうちに預けられたら良いのにと思った。