arch

パスト ライブス/再会のarchのレビュー・感想・評価

パスト ライブス/再会(2023年製作の映画)
4.4
「もしも」を語る男たちと「もしも」を語らないヘソン、その対比にどうしようもない感傷を覚えた。
第三者の視点からのズームアップで始まる本作は、丁寧に観客を三者の視点に誘導していく。
カメラは三者に視点を絞っていく。その中でカメラは"二人"を切り取っていく。2人で散歩している場面やベットでのシーンが印象的だが、とにかくどう"二人"を切り取るかに非常に工夫が見られている。NYの街角の些細なワンシーンのようでありながら、その他全てを後景化してしまうような画角。本作の本質的な会話なあるバーので被写界深度の浅い映像を除き、基本的には構図でその他の全てを跳ね除けるかのような二人の世界を作り上げている。
構図だけではなく、彼らの会話も興味深い。男性陣は「もしも」を平気で語る。あの時会いに行っていたら、あの時会っていなかったら。特に今は何の賞が欲しい?と尋ねる場面がどこか自分の知ってる"ノラ"に焦点を合わせるようでヒヤヒヤした。
それは本作の男性陣にばかり見られる傾向だったが、最後の涙が、如何に現実にに幸せを感じながらも思わずにはいられない「もしも」がある種普遍的な感覚なのも伝える。
また会話で印象深いのは、ノラのヘソンの評価である。彼を非常に韓国的で男らしさの人だと評価する。明確にノラとヘソンの間に"国"という軸が置かれていることを表すシーンであり、無視しようのないアイデンティティに視座を向ける本作のリアリズムを感じた。

そしてカメラは三者を同一画面にとらえ始める。飛び交う韓国語と英語。画角だけでなく、言語の違いもまたそこに見えざる境界線を引き出す。アーサーの身になって物語を見ていた自分にとっては、あのBARの場面で「良い人」であり続けることにばかり気がいってしまった。

本作の白眉はなんと行ってもラストのあの沈黙だろう。映画的なクリシェに慣れきっているからこそ、あの向き合う場面のある種の緊張感は凄まじい。そして彼らは境界を踏み越えない。
両者は別々の方向にある「帰るべき場所」に向かっていく。
片や徒歩で、片や車で。ノラの徒歩の姿は『穢れた血』や『リコリスピザ』のような青春を迸らせる"疾走"への対比にすら思える。彼女はアーサーの抱擁に迎えられる。
泣き虫だったノラの「涙」は、ヘソンではなくアーサーに見せられるのだ。それこそが答えであり、またヘソンにはその「涙」を見せないという所に、想いを感じさせる。

そして別方向に向かっていったヘソンもまた、その後のカットで、ノラと同じく右方向へと向かっていく。ノラと同様に未来へと向かっていく姿を暗示し、彼にとっても1つ決着したのだという感慨を感じさせる。見事な終わり方だった。
arch

arch