ひとことで「司馬遼太郎っすなー」つまり良く出来エンターテイメント仕上げのせいで、これがフィクションである、という“前提”を摂取する若者から奪っちゃう功罪の罪パート重め。
iPhone史観あるいは「北米以外は世界じゃない」史観、当時のガラケーが本作に登場するすべてのガジェットの20年先を走っていたこと、俺は面倒だからやんないけど本邦のそっち系ライター、正面から否定しておく必要あるんじゃないか。これだと本当にブラックベリーなりiPhoneなりがデビュー当時から凄かったみたいじゃん!
- Nexus OneってPixel出るまではザ・黒歴史だったgoogle端末の香りただよう登場人物とか、分散型ネットワークとして言及されるNapsterとか、ネクタイのノットの太さやホンダ車が当時を思い起こさせて顔が火照るぐらいにはおっさんホイホイ要素満載で「すまんがその石をしまってくれんか……」ぽ、ぽ、ポム爺さんになるわ!
- どうでもいんですけど本作舞台カナダのウォータールー(地名)、ロンドンのそれと同じぐらいイングランドのフランスいじり癖の現れでしょうにエンディングでダメ押しの如くキンクスの楽曲を流すとか、まあまあ感じ悪くないですか。山口県が福島県をこういういじり方したらぶっ飛ばされるよね
- それにしても初代iPhoneは本当に俺たち日本のガラケーユーザーには失笑ものでしかなかったんだよ、なのに3GS(第三世代機)で追いつかれ4S(第五)では俺も抵抗できなくなって。みたいな、日常では沈殿しきっている愛国心っぽい何かが突如浮上してきて、我ながらギョッとしました。長崎に来ない奴らに「へーそうなんだー」ってなるようなもので、あんたたちの世界の狭さがソンナモノなのは言うてお互い様だけど、やっぱりね、がっかりはするのよ!