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夜明けのすべての教授のレビュー・感想・評価

夜明けのすべて(2024年製作の映画)
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「現代の日本」に必要なのは、もはや「暴力」でも「虚無感」でも「狂気」ではなく「人情」だと思う。
その点で、本作のような作品は最も重要な映画だと思う。

本作の大筋はパニック障害を抱える山添(松村北斗)とPMSを抱える藤沢(上白石萌音)の関係を軸に、実は登場人物全ての人生の背景が描かれていたり、または描かれなかったりすることで「世界」が明確に構築されているところが秀逸。

いわゆる「テーマ」をの為の設定だけの凡百の映画の形をまったく外していることに、日本映画自体の批評にもなっている。
例えば近年の「流行り物」としての「LGBTQ」の扱いのように、あるいはジェンダーバランスへの無思慮な配慮であったりのことを指すわけだが、そのテーマの矮小化によって映画としての魅力は消え失せ、何よりテーマを消費することで「当事者」すらバカにしたような作品は世界的にも量産されている。
特に「日本映画」は映画において残念なことに、メジャー配給の作品にはそのことが顕著だ。

それこそが「資本主義の芸術」である映画の、悩ましい現実であり、映画らしい映画を観客すらもはや必要としない現代において、三宅唱監督は稀有の存在であることが本作でもはっきりとわかる。

まずは芸術表現として「映画」らしくあること。それは撮影という表現のことであり、画面で表現される現実の切り取られたもののことであり、あるいは画面に映らなかったもの、のことだ。
「そのこと」に対してまずは監督ないし作り手が自覚的である必要があるし、三宅監督にとっても、テーマや題材に対しての誠実さと同等のものとして扱われる。

例えば本作では主人公たちが「恋愛関係」にならないというのは、あまりにもフィクションの世界が「恋愛原理主義」的に人間関係を扱ってきたことへの批評でもあるし、現実社会でも同様の変化が起きている点でもある。
しかし、その「トレンド」として「恋愛関係にならない」ということに説得力を持たせる描写をできるかどうかが、何より重要なのだ。

本作において、恋愛関係が重要ではないのは、恋愛というある種の閉塞的な個人同士の特殊な磁場に基づいた関係の物語ではなく、あくまで日々の生活や仕事、人生の中で起きる出来事やイベントを形作る「社会」と「人間関係」の物語だからである。
それが、主人公を中心とした周囲の人たちの人生の背景もところどころに描かれる所以である。

映画が映画である以上、この資本主義的なシステムの呪縛からは逃れられない。
しかし、その中でいかに人間的な物語を成立させるか、という課題と方法論が、まさに作中で展開される「社会」の中で人間性を発揮するコミュニティを描写することで成り立たせている部分の理由の多くは、本作が「映画」であることに強く自覚的で、そのために「当たり前のことを当たり前にやる」という誠実さに貫かれているからに他ならない。
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