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この子を残しての教授のレビュー・感想・評価

この子を残して(1983年製作の映画)
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神保町シアターの特集上映にて。

広島、長崎の原爆についてはもはや、トラウマと言ってもいいほど幼少の頃から映画や書籍を通じて触れている。
そのきっかけは忘れたが印象的なのは小学校の頃の長崎への修学旅行だ。
そこで本作の主人公となる永井隆博士のことを知った。
その後、図書館司書を務めていた叔父の好意で、当時は入手しにくかった本作の「原作」を読んだ。読んだのだが内容が医学的な話も多く挫折した記憶がある。

というわけで本作。場内が満席で最前列での鑑賞で正直あまり集中できなかった。
ただ集中力以上になかなか作品の出来も残念という印象。
まず、本作のような「原爆」を取り扱った映画を語る場合に「作品として」語る側面と、テーマに対しての倫理的解釈や社会的意義がないまぜになってしまうのだが、そこはハッキリと切り分けて考える。

本作を「映画」として製作するにあたっての製作者側の「物語としての定説」=誇張のある意味でのデリカシーのなさ、と作品のテーマや主張の「ありき」の考えが悪い方に出ている。

原爆を通して浮かび上がる「戦争の悲劇」は主張としても「絶対正義」になり得るからこそ、本作に通底する「ヒロイック」なトーンは、作品のムードを高めるが、現代の視点で観るとフィクションとして脆弱に映る。
登場人物の感情が、出来事に対していちいちダイレクトに描写される故に、悲しみがあまりにも強調されがちでリアリティがない。

本作の原作の秀逸な点というのは実は「被爆者」としての「被害者視点」ではなく、いち「医学研究者」としての業や、研究への理性的に現実を見つめる永井博士のドライさが独特の視点で書かれている点であり、映画化するにあたってのキーになるポイントが活かされてないのは残念。

ましてや、原爆投下2日前からの日常描写から、投下後の展開、戦後の生活などがダイジェスト的に展開する上に性急でドラマに落ち着きがない。
そこから急に(作中の)現代パートに切り替わり息子の誠一(山口崇)のナレーションが被さる違和感。

ある意味では祖母のツモ(淡島千景)の「庶民感覚」がある種の独りよがりな「理想主義者」的な永井博士(加藤剛)のキャラクターを相対化する「ツッコミ」役として機能している点は、恐らく脚本の山田太一の力だと思うが、批評的に描いているとも言える。

本作を語る上でラスト数分の被爆シーンだと思われる。
構成的にかなり歪な形で、様々な感情が去来する賛否を孕んだシーンだとは思うが、その「映画」の機能の持つ社会的意義と暴力性の両端はしっかり感じる勝負をかけたシーンにはなっている。
それに関しては明確な意見は持てないが、壮絶ではある。
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