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夜明けのすべてのmのレビュー・感想・評価

夜明けのすべて(2024年製作の映画)
5.0
名作誕生。想像以上の素晴らしさ。三宅唱監督、傑作「きみの鳥はうたえる」の次のステージに突入しちゃったな。
俺は常々上白石萌音はいつか次の高峰秀子になる人だと思っていたのだけど、遂にその第一歩となる作品が生まれた事を心の底から祝福したい。

正直序盤はちょっと不安になった。冒頭の雨の中ずぶ濡れで座っている上白石萌音の背中のショットには凄まじい力があり(背中で語れる萌音さんの役者力よ!)、すぐに映画に乗れるものの、時制が変わるまで萌音さんのモノローグがずっと続く事が個人的に気になった。
しかしそれでも心が離れなかったのは、萌音さんの声に優しく柔らかく、且つ強い力があるから。そしてその声の力を、もう一人の主人公である松村北斗もまた持っている。この主演二人が声の力を持っているという事がこの映画の重要な駆動力になっている。そして気になっていた序盤のモノローグ連打が最後の最後で活きてくる。これには本当に驚いた。


映画が明確に名作の領域に足を踏み入れるのは、やはり上白石萌音が松村北斗の髪を切るシーンだ。あそこで明確に映画の奇跡が起きる。いや奇跡が起こされる。萌音さんが持っている問答無用に観客を納得させる行動力(だから金原ひとみの「ミーツ・ザ・ワールド」主演に相応しいのはこの人なんだって)によって引き起こされるこのシーケンスのキーになるのはやはり役者の声で、はっきりと映画のステージを引き上げるのは松村北斗の笑い声だ。彼が思わず(と観客に問答無用で感じさせる、あまりにも無防備に演じられた)上げる笑い声によって、二人の関係性は変化し、観客と映画の距離感も一気に近付く。
二人の関係性に最後まで恋愛が絡まなかった(そして周りの誰もそんな話をしなかった)のが本当に良くて、分かりやすくない、言葉で定義できない関係性を描いたのは本当に豊かで価値のある事だと思う。


この映画は優しい。だけどただ優しいだけではなく、甘いのでもなく、光石研と渋川清彦の存在と細かい演技に象徴されるように、痛みを知る人達が優しくあろうとする物語である事が素晴らしいと思う。だからこの映画の優しさは身に沁みる。痛みを知った上で他者に優しくあろうとする姿勢は、荒み切った現代日本に必要なものだと思う。
だから原作者も原作刊行時に言われたという『こんな優しい会社ある訳ないでしょ』というこの物語への批判には意を唱えたい。この物語、この栗田科学(原作だと金属)という会社に込められているのは、今を生きる上で他者に優しくあり支え合うべきだという希望への強い意志だ。それは甘えではない、絵空事でもない、皆で生き抜く為のある種の武装、戦いへのアチチュードだと思っている。今回の映画化で、作り手はその面が更に強調しようとしたのではないだろうか。




これまでで最高の演技をして映画俳優としての可能性を見せつけた上白石萌音、「キリエのうた」でも見せた良さを更に発展させて素晴らしい自然さを体現した松村北斗を筆頭に、俳優陣も皆素晴らしい。光石研と渋川清彦のさりげないところで見せる主人公達を見守る視線は映画をより豊かにする。「きみの鳥はうたえる」好きとしては足立智充の再登場も嬉しい。


16m mフィルムの粒子感を活かしつつ、俳優を程良い距離感で見つめ続ける撮影の良さは映画を支えている。特にクライマックスでの萌音さんの声を聴く北斗君のショットで、絶妙に煽ったアングルで撮っているのがめちゃくちゃ好き。


原作未読なので詳しい比較はできないけれど、原作と映画では会社の業務が異なっており、映画全体のテーマが収束していく素晴らしいクライマックスとなるプラネタリウム自体も、原作では物語に存在すらしないという。恐るべき脚色法だと思う、感嘆するしかない。


キャスト・スタッフ達から素晴らしい仕事を引き出して、見事に名作にまとめ上げた三宅監督、恐るべし。




ちなみにパンフレットも良い出来で、それぞれの登場人物達のバックボーンの文章はこの映画への敬意がより深まる。

パンフに加えて、こちらのサイトに載っている三宅監督と濱口竜介監督らの対談記事は、映画を作る側の人間として知りたかった裏側の事が色々分かってとても興味深いのでお薦めです。ロケ地を見つけて来てくれる制作部やそのロケセットに命を宿してくれる美術部・装飾部の功績に触れられているのが良い。知りたかった脚色の経緯も書いてあってありがたい。

http://www.kaminotane.com/2024/03/05/25508/
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