ambiorix

ハンガー:飽くなき食への道のambiorixのレビュー・感想・評価

3.4
「タイ映画界の検閲と戦うことに疲れたんだ」
かの大傑作『MEMORIA』をコロンビアで撮影したタイ出身の映画監督アピチャッポン・ウィーラセタクンは、インタビューの中でたびたびこう答えている。もちろんこれは、彼の性的指向がゲイであることや、彼が長いキャリアの中でたくさんの左翼的な映画を作ってきた、という文脈を踏まえた上で語られるべきなのだろうが、カンヌのパルムドールを受賞したタイ史上屈指の映画監督(日本人に例えると是枝裕和?)が自国でまともに作品を作ることすらままならない状況まで追い込まれてしまうのが現在のタイという国なのである。非常に保守的かつ権威主義的で、ひとたびお上を諷刺するような映画を撮ろうもんなら即座に処罰されてしまう。それは裏を返せば、検閲のフィルターをくぐり抜けたお行儀のよい映画だけがタイ国内での製作を許される、ということでもある。そんなタイのお国事情を知っておれば、本作『ハンガー:飽くなき食への道』のいささか拍子抜けするラストシーンや作品の包含するあまりにも保守的すぎるメッセージやなんかにも多少は合点がいくのではないかと思う。
本作を近年の映画で例えるなら、ディミアン・チャゼルの『セッション』だろうか。大御所シェフが、「もっと速く!もっと速く!」と怒鳴りながら主人公にキャベツを切らせる、何か気に入らないことがあると人に鍋や食材を投げつけるなどする一連の行動は『セッション』の鬼教師フレッチャーまんまなので思わず笑ってしまった。当初は上司と部下の関係だったのが中盤で袂を分かち、最後の最後にあいまみえて対決するプロットのつくりにもどことなく『セッション』みを感じさせるものがあった。
本作のテーマは「貧富の格差」だ。先進国の座からゴロゴロ転がり落ちるわーくにとは違い、タイは近年急激に経済が発展しているらしいが、それでも格差というのはどんどん広がっていく。一部の金持ちだけが発展の恩恵を享受し、残った貧乏人はそのおこぼれにすらあずかることができない。ワーキングプア、ネポティズム、出生ガチャ…世界中のどこにでもあるような非富裕層の苦悩が冒頭の友人との会話シーンでもっていささか説明的&図式的に説明される。父の代から続く安食堂を切り盛りする主人公のオエイ(『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』で忘れがたい印象を残したチュティモン・ジョンジャルーンスックジンが主演を務めている)も典型的な労働者階級のひとりだった。ある日、1ヶ月先まで予約が取れない有名レストラン「ハンガー」のシェフであるトンがオエイをスカウトする。シェフ頭ポールのテストを切り抜けた彼女はみごとシェフの仲間入りをする。ハンガーはいわゆる店舗型のレストランではなく、顧客の家に出向いてサービスをするタイプのレストランだ。オエイは出張した先でさまざまな種類の金持ちと出会う。将軍とその取り巻き、暗号通貨で財を成した成金の若者、絶滅危惧種を狩って楽しむお偉いさん…などなど、劇中に出てくるのはいずれも品性下劣な連中ばかりである。本作の監督シッティシリ・モンコンシリは、富裕層をこき下ろし、社会的弱者の側に肩入れしているように見える。わけても象徴的なのが、ポールの作る妙ちきりんな料理の数々だろう。たとえば、血のように赤いソースをぶちまけた皿の上に、丸めた和牛を輪切りにしたものを乗せた「血と肉」なる料理。これはともすれば切断された人間の腕や足(いわゆる切り株)に見えなくもない。はっきり言ってちっとも美味そうに見えない。そんなシロモノを人殺しを生業とする将軍に食わす、というのはどう見てもブラックジョークだし、うまいうまいかなんか言いながら皿についたソースまで舐め取る取り巻きたちの姿は非常にグロテスクだ。ここでは2つのことが諷刺されている。すなわち、自らの象徴を自らの口で食らっていることと、金持ちたちが自分の食っている料理の真意に気づかないこと。後者に関しては成金のパーティーのシークェンスでもってさらに反復される。高級料理の味なんざろくすっぽ分からねえくせして一丁前に悦に入っているクズ。「情報を食ってる」というやつだ。このくだりは、『ザ・メニュー』やその元ネタであろうピーター・グリーナウェイの『コックと泥棒、その妻と愛人』を彷彿とさせる。オエイと同じく労働者階級出身のポールは、金持ちたちにゲテモノを食わせることである種の復讐を試みている。
しかしこの映画、貧富の格差を対比させ、金持ちの連中を皮肉ったところまでは良かったのだが、物語が終盤にきたところで突然ピントがずれてしまう。顕著なのがクライマックス、これまた品性下劣なマダムミルキーの豪邸でもって行われる料理バトルのくだりだ。オエイとポール、互いに奇抜な料理を繰り出し、ついにはポールが勝利したかに見えたのだが…というところでオエイが作ったあるものを見た俺は唖然としてしまった。そら俺だって気取ったおフランス料理なんかよりもラーメン二郎の方がよっぽど美味いと思いますよ。しかし、高級レストランを舞台にしたグルメものでそれをやっちゃあオシマイでしょうよ…。貧乏人が自らのテリトリーに引きこもって強がりを言っているようなものだ。いわば酸っぱいブドウだ。そして、ひっそりと屋敷を去ったオエイは自宅の大衆食堂へと帰ってゆく。映画はここで冒頭の「タイの映画保守的すぎるだろ問題」へと立ち返る。本作『ハンガー:飽くなき食への道』においても最後は、「なんやかんや言っても結局家族が最高だよね」「幸せってのは実はいちばん身近なところにあるんだよね」みたいなオチに胴体着陸してしまう。いやさ、でもこれはちょっとどうなんだろう。自分のレストランのシェフ頭から安食堂のキッチン係に逆戻り、というのはいくらなんでも飛躍しすぎなのではないだろうか。その中間あたりに何かうまい落としどころがあってもよかったんじゃないか、と俺なんかは思うのだ。これではまるで「貧乏人は貧乏人らしく社会の隅っこで大人しくしていろよ」と言っているようにも読めてしまう。作品の持っていたはずのメッセージが一気に反転してしまうのだ。オエイの家族にしても、彼女の立身出世をもう少し応援してあげても良かったのでは…。ちなみに、タイのご近所さんのベトナムで今年公開された歴代興収ナンバーワン映画『マダム・ヌーの家』(この作品も舞台が大衆食堂だった)も似たような終わり方をするのだが、東南アジアでは保守的な家族バンザイドラマじゃないと検閲に引っかかっちゃうんだろうか?なんてなことを嘆いたところで、日本の大ヒットアニメ『鬼滅の刃』がまさに「血の繋がった家族の絆」を作品の根幹に据えていたことに思い至って頭を抱えてしまったのであった。
最後に、ハンガーの料理人連中の俗物ぷりについても指摘しておきたい。調理場でタバコを吸っていたのがバレてポールに怒られるアホ、店の食材を盗んだのがバレてクビにされるアホ、腹いせで料理の中にアレルギー物質を混入したのがバレて逆ギレしポールの腹を刺して帰るアホ…舞台が一流レストランなのにいくらなんでもレベルが低すぎやしないか。荒れてる公立中学校じゃあないんだからサ…。
ambiorix

ambiorix