グラビティボルト

ミッシングのグラビティボルトのレビュー・感想・評価

ミッシング(2024年製作の映画)
3.3
「空白」に続いて、吉田恵輔×スターサンズの映画。

愛娘が失踪してから精力的に捜索活動に取り組むも、心のバランスを崩していく夫婦の道程を描く。
TV局員視点もあり、画面や動きが多彩になるぶん、ひたすら重苦しかった「空白」よりは観れる。
ラフな手持ちで内面が崩壊した人物にガッツリ寄る志田貴之のカメラとも相変わらず相性抜群だと思う。

吉田恵輔映画は超出世作「さんかく」における小野恵令奈が高岡蒼甫に惚れてない事が冒頭から明らかだった語り口から一貫して、ミステリ映画の作家ではない。
故に三角関係、脚本家としての修行、ボクサー人生といったある状況に置かれた劇中人物の心の変容をキリキリと抽出する作家だ。
本作も、「行方不明になった娘の居所」にカメラも脚本も全く興味を向けずに、子供がいなくなるという極限状態に置かれた一般人の在り様をラフなショットを絶妙なバランス感覚で編集して観客に突き付けてくる。

内面のバランスを崩し、夫に八つ当たりを繰り返す石原さとみと、献身的に支える青木崇高という表面的な解釈を本作は許してくれない。
中村倫也演じるTV局員との打ち合わせ時、二人に寄ったカメラが握り合う掌を映した瞬間、夫婦が互いにギリギリの精神状態を支え合っているとわかる。

このギリギリの夫婦関係が何処で臨界点を迎えるのか?
献身的に見えて限界(ホテルの喫煙スペースでの一件)な青木崇高の精神が遂に爆発して、夫婦も、家族も、全て崩壊するのか?というスリルに満ちている。
娘の行方をチラつかせないぶん謎はないが、爆発の予感というスリルはある。

あと、偏向報道を恐れて廊下で上司に噛みつく中村倫也が閉じたドアガラスに、上司が開いた側に立つ構図で、聞く耳を持たない上司が歩き出しても中村倫也は止められず、ガラスに阻まれつつ怒号が口パクに消えるショットも良い。
森優作に取材を強行し、車窓越しに罵倒される場面の反復。
志村貴之の、不安定な手持ちのショットながらバシッと構図が決まるカメラと吉田恵輔の人物の内面を執拗に追い込む映画作りがマッチしてるんだろうな。
青木崇高が劇中初めて落涙する場面も見事だった。
普通寄る所だが、あくまでもピントは石原さとみで画面の奥で泣く様を捉える。
次のショットで寄ったとしても、泣き顔を真正面から捉えたりしない。
この慎ましい間接表現は、落涙と激昂が日常になっていた石原さとみに対して感情の発露をギリギリまで堪えてきた青木崇高演じる夫への敬意と尊重に感じた。
生々しい感情を捉えるにしても、品格は忘れてない。

沢山ある情報提供ビラ配りの場面は画面の手前と奥の使い方が上手かった。
ビラを配っている最中に話しかけられて、相手と正対するショットになると奥にいる人物が見える。
中村倫也と石原さとみが取材内容を巡って揉める中、カメラマンがビラのゴミを使って素材撮りをする場面が絶品。

終盤あの母子に声を掛けられた石原さとみを見て青木崇高が落涙する場面も、手前と奥の構図が凄く巧く活きてると思う。
あと、中盤の「イタ電」の場面も中村倫也とカメラマンをナメた向こう側で石原さとみが電話を受けて事態が急転してくし、警察署についてからのスマホカメラや手前と奥も重要。

映画技巧的に云々というよりも、
画面手前側(表面)で起こっている事態と画面奥(深層、裏面)でそれを見詰める人々の関係性を画面に定着させてるんだと思う。
吉田恵輔映画は、カメラが手持ちでラフだし照明も凝らないんだけど
追い詰められた人物を押さえる構図は見事にキマる。

この辺りがトビー・フーパーに称賛(「なま夏」をゆうばりに出した時)されてたんじゃないかな?と感じた。

ただ、「空白」から続く
吉田恵輔×スターサンズの布陣は個人的な趣味からするとあまり好ましくはなかった。
感情の爆発がスリルであり山場になる映画なんだけど、あのイタ電以降生理的に長いと感じる場面が多かった。
薄くボーカルの入ったサントラを流しながらのモンタージュもクドいと感じたのは事実。
意味合いが違うのは承知の上で、
二回目の特集番組放送の後と類似した児童の失踪事件の結末の後とで
各陣営のモンタージュをコーラス入りのサントラと一緒に流す演出を二回やるのは如何なものか・・・と正直首を傾げた。
もっと暴力的に短くしてしまって良いと思う。

「ここで終わらせるべきでは?」と感じるショットが何箇所かあるんだけど、そのまま結構引っ張るんだよね。
シナリオ上語りたい事があるから引っ張る訳だが、必要性云々の理屈を超えた驚きは、カーステレオから流れるK−POPの場面以降は無かった。