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Banel e Adama(原題)
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『Banel e Adama(原題)』に投稿された感想・評価

Omizu

Omizuの感想・評価

3.2
【第76回カンヌ映画祭 コンペティション部門出品】
セネガルのラマタ・トゥレイ・シー監督の長編デビュー作。カンヌ映画祭コンペに入選、メルボルン映画祭ではBright Horizons賞を受賞した。

映像は美しいが物語として弱い。フェミニズム的メッセージを持った作品なのは評価できるものの、それを上手く消化しているとは言いがたい。悪い映画ではないが、少なくともカンヌ映画祭コンペに入選するレベルではない。

閉鎖的なセネガルの村に生きる夫婦、バネルとアダマだが、バネルは村を出たいと思っている。しかしアダマは村の役職を命じられ…

ある視点部門だったらもっと暖かい目で観られたかもしれない。しかしコンペとなると必然的にハードルが上がってしまう。

バネルの心の機微を描いているが、映像に頼りすぎて深みが足りない。村を出たいという思いも空回りしているように見える。彼女に対するアダマもキャラクターとしてイマイチ何を考えているのか不明瞭。

映像は素晴らしい。光を上手く使い、セネガルの乾いた大地を捉えている。それがもう少しキャラクター描写に効果的だったらよかったのだが…

悪い映画ではないし、注目の存在なのは納得。一作目でカンヌコンペに入るという快挙は少々ハードルが上がりすぎてしまったがすごいと思う。魅力的な絵力があるのは確かなので、今後に期待したいところ。
[セネガル、村の規範との戦い…?] 40点

2023年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。Ramata-Toulaye Sy長編一作目。ラインナップ発表前日に"ある視点"部門からコンペに格上げされたらしく、個人的には問題のあったマイウェン作品と交代したのではないかと考えている。監督はフランスの国立高等映像音響芸術学校(通称ラ・フェミス)の生徒で、本作品の脚本は四年時の卒業製作で書いた作品だそうな。恐らくそこで知り合ったであろうトルコ人監督コンビの『シベル』には脚本で参加している。閑話休題、本作品はセネガルの田舎村で愛し合う二人の若者バネルとアダマを描いている。二人はあまりにもラブラブなので村の外に新しい家を勝手に作って一緒に暮らそうとしている。そんな二人には村の掟が邪魔で仕方ない。男には男の、女には女の仕事があり、一緒にいる時間が寝る前だけしかないなんて許せない。しかも、そんな状況でさっさと子供作れしか言わない母親なんか、バネルにとっては余計に邪魔でしかない。一方のアダマは、父と兄の死によって族長になる必要に迫られるが、これを拒絶する。すると何の因果か雨が振らなくなってしまい、アダマの信念は揺らいでいく。ここまで好奇心を欠片も刺激しない映画も久々というほど心惹かれなかったが、その大きな要因は物語の求心力のなさと鈍重さだろう。基本的にはバネルを色んな場所に動かして"嫌だ"と言わせるのをひたすら繰り返す上に、次期族長問題と雨降らない問題が重なり、それが規範に従わないバネルへの同調圧力に加算されるという構造になっている。そもそも、アダマが族長という責務から逃げようとする背景もよく分からんので、バネルが吹き込んだというバネル母の言葉が、他の"子供産め"だのなんだのという言葉と同じカテゴリなのかは謎めいている。それに、バネルが規範に反抗するのと次期族長問題と雨降らない問題が最後まで全部一緒くたに語られるので、かなり強引な印象を受ける。それを中和するように差し込んだテレンス・マリックみたいなショットとかフレア入れたセンス皆無なショットとかは自己陶酔にしか見えず寧ろ逆効果だった。唯一の美点は上映時間が短いこと。87分でも長いが、これで2時間もあったらと思うとゾッとする。

インタビューによると、これはバネルの物語であり、女性/黒人女性/アフリカ人としての彼女の戦いの物語だ、としつつ、"愛の情熱がもたらす女性の狂気は私の扱いたかったテーマだ"とトンチンカンなことを言っていた。余程腕に自身がない限り、それらを安易に混ぜちゃいけないんじゃないか?
ヨーテボリ映画祭にて。

もしかしたらセネガルが舞台のロミオとジュリエットっぽくなったかもしれない(けどそうでもなかった)映画。

愛し合うバネルとアダマ、しかしバネルはアダマの兄イエロと部族の掟的に強制的に結婚した過去あり、アダマは部族の長にならなければいけない立場。
二人がそんな状況を振り払い自分達の家を建ててしがらみから解放された生活をしようとする。

駆け落ちドラマか、部族から疎外され困難に陥るカップルのドラマかと思ったが違った。

雨が降らず村が壊滅的な干ばつに見舞われ、二人に譲歩を求める圧力が高まる中、パネルの方が背負うもの失うものが多いような。
…と思ったがどっちもどっちかな。

正直言うと何が言いたいのかよくわからなかった。