本作の監督であるアリーチェ・ロルヴァケルの前作『幸福なラザロ』が面白かったのでこの『墓泥棒と失われた女神』も期待していたのだが、実際に観てみたら今回も面白かった。スコアを比べていただくと分かると思うが本作の4.1というスコアは『幸福なラザロ』と同じものである。まぁ数値化されたスコアとか如何ほどの意味があるんだよというところではあるのだが、大体前作と同程度には面白かったということですね。
ただそれと同時にこれも書いておかねばならないことだが『幸福なラザロ』と同じく最初の1時間くらいは(何だこの映画…?)となってしまうところはあった。なんつうか、まぁ一言で言えば掴みどころのないというか中々作品の核心部分を見つけるのが難しい感じの映画だったとは思う。そんな映画の良さがわかる俺凄い! と自画自賛したいわけではないのだが結構人を選ぶタイプのクセが強い映画だとは思いましたね。しかし中盤以降にちょっとずつお話が見えてくると俄然面白くなっていく作品ではあった。
じゃあどんなお話なのかというとだ、舞台は80年代のイタリア・トスカーナ地方の田舎町。忘れられない恋人の影を追うイギリス人の考古学愛好家のアーサーはなぜかよく分からないが超能力的な直感で地中の遺跡を発見できる特殊能力を持っている。そんな変な能力を持った彼をトスカーナの人々は上手く利用して墓泥棒稼業に勤しみ、掘り出した埋葬品を売りさばいては日銭を稼ぐ日々が続く。そんなある日、美しい女神像を発見したことでアートの闇市場的な者たちも巻き込んだ事件が起こっていく…、というものです。
どうだ! イマイチよく分からんあらすじだろう! 恋人の幻影を追いかけるイギリス人がなぜトスカーナへ赴いたのかも、その男がなぜ遺跡を発見できる特殊能力を持っているのかもよく分からんし、なぜ遺跡を探すことと恋人を追うことが重なるのかもよく分からない! 『幸福なラザロ』の方も序盤は時代設定すらよく分からん感じで、なんなんだこの映画は…という感じだったが物語的に明確な折り返し地点があり、そこまでいくと一気にお話の全容が見えてきたのだが本作は中々その尻尾を掴ませないのである。さらに本作は単純に提示されていくストーリーラインを追っかけていくだけでは多分よく分からないんじゃないかなとも思う。
というのもですね、本作で取り沙汰される古代遺跡というのは全て(多分)エトルリアに関するものなんですよ。なのでざっくりとでもいいから都市国家群エトルリアのことを知っていないとよく分からないところも多いのではないだろうか。そして作中で主人公が出会う如何にも重要そうなキャラクターであるイタリアという名前の女中とかも凄く意味深な感じではあるがそのキャラクターが物語中でどのような役割を担っているのかはイマイチよく分からない。物語の後半、彼女が女中を辞めて女性だけのコミュニティの中で生きている姿が描かれて主人公もそこに合流するので、女性の地位が高かったとされる古代エトルリアに準えたものではあろうと思われるのだが、何分本作では物語の重要な核心をセリフで説明したりはしてくれないのでそれもどこまで正解なのかは分からない。ていうか主人公、その女性中心のコミュニティからも抜け出ていくしね。
じゃあこの映画で分かることは何なんだよっていうところなのだが、そこは作中で重要アイテムとして発掘される女神像の首が折れてしまった後に紛失されることと、原題が『La chimera』というものであるということを踏まえれば何となく浮かんでくる。それが何なのかというと、かなり身も蓋もないテーマになるのだが、よく分からない、ということそのものなのではないだろうか。現代の『La chimera』は日本語表記だと“キメラ”でテレビゲームでRPGとかをする人にお馴染みの獅子と山羊と蛇の合成獣のことである。転じて異質同体のものを示す語でもある。そして身体のパーツの一部が失われた女神像というのはサモトラケのニケやミロのヴィーナスのように現実でも存在しているが、キメラのような合成という足し算ではなく喪失という引き算としての分からなさを示しているのだと思う。その両モチーフが表すことは、どちらにしろそれが何なのかはよく分からん、ということである。
古代エトルリアというのも現トスカーナ地方とほぼ同じ場所なのだが詳細がイマイチよく分かっていない文明であり、いわゆる海の民というのはエトルリア人のことだったのではないかとも言われているが、やはり確証はない。国家というほどに強力な結びつきはなくて緩い共同体のようなものだったと言われるが彼らの遺跡は数少なく詳細はよく分からないのである。そして主人公の目的は恋人を探すことである。恋人を探すということはそのまま遺跡を掘ることに結び付けられていると思うのだが、上記しているようにエトルリアという都市国家群の文明というものがどういうものだったのかはよく分からない。まるでキメラのような複合的なイメージを持ちつつも失われた彼らの生きざまは女神像のパーツのようでもある。そして主人公は恋人を探すという目的を持ちながら遺跡に残る副葬品を金に変えている。そしてそのことにうんざりしている様子もある。ここまでくると本作が大体どのようなことを物語っているのか分かってくるのではないだろうか。
エトルリアというのは詳細がよく分からない都市国家群ではあるが存在自体は間違いなくしていた、というものである。大体の場所も特定されているので完全一致とはいかないが日本人的には邪馬台国的なものと言ってもいいかもしれない。それがよく分かんないけど確かにあった、というのなら主人公の恋人という存在も作中ではまったく回想シーンなどもなく具体的にどういう人だったのかは分からないのだが、いたということは確かなのだろう。
要は今は失われたがかつてはあったもの、を探す物語なのである。
本作のお話がよく分からないのも当然だろう。かつてはあったが今はないもの、をひたすら描いたのだとしたら観客の目に映るのは「ないもの」だけなのだから。
と、ここまで書いて終わりにしようと思っていたのだが、原題の『La chimera』でググってみると興味深いものを見つけてしまった。それは海外版のメインビジュアルなのだが、日本語版のメインビジュアルはフィルマークスの該当ページを見れば分かるように主人公の周りに登場人物が集まっているものなのだが、海外版はタロットカードの「吊られた男」の意匠になっているのである。もう感想文締めようと思ってたのにいきなりそんなのぶっ込んでくるなよな。なんかまた分かんなくなってきちゃったじゃないか!
ま、でもそういう映画でしたよ。魔術的とでも言おうか、なんか手品にでも引っかかったような感じもする不思議な映画だ。前半部分が退屈で何をやってんのかよく分からんというのはあろうが、非常に豊穣で観る人の数だけ物語が浮かんでくるような作品ではなかろうか。ハリウッド的な5分に1回くらいは見せ場がくるようなお子様映画(まぁそれはそれでおもろいが)しか観れないような人はともかく、分かんねー、と思いながらもじっくりスクリーンに向き合える人なら楽しめるのではないでしょうか。まぁいつも通り俺は10分くらいは寝たけど!
とりあえず面白かったです。