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落下の解剖学の旅するランナーのレビュー・感想・評価

落下の解剖学(2023年製作の映画)
4.2
【君が手にした黄金について】

満州をめぐる人間ドラマを描いた小説「地図と拳」で第168回(2022年下半期)直木賞を受賞した、小川哲が2023年10月に出した新刊が「君が手にするはずだった黄金について」です。
多くの道徳的規則の基となる、黄金律「自分がしてほしいことを他人にしましょう」。
この話題から始まる、タイトルにもなっている一編を含む、作者本人っぽい小説家を主人公にした6つの連作による短編集です。
私的黄金律としては「小説家を主人公にした小説は面白い」と思っています。
人間感情を冷静に分析しつつ、もの悲しくも熱い展開に知的ワクワク感があります。
読書による幸福感を得られる上質な一冊です。

この映画も、ザンドラ・ヒュラー演じるサンドラという名前の主人公は小説家です。
私的黄金律の派生形として「小説家を主人公にした映画も面白い」と思っています。
この小説家は、私生活を元にした小説を数々書いているようです。
そのため、小説の中で夫を殺したいという表現があるところを切り取って、検事が被告人を問い詰めたりします。
それに対して、弁護人が「それじゃあ、スティーヴン・キングは連続殺人鬼じゃないか!」みたいに反論するのが笑わせます。

殺人か、事故か、自殺か?という謎が、観客も含めて五里霧中になっていく脚本が素晴らしいです。
夫婦関係や人間の心理を解剖していくようで、このミステリーにもう夢中です。
そして、夫婦喧嘩シーンを途中から音声だけにしたり、息子に父親の証言を語らせたり、小説のように観客の想像に委ねる演出。
ザンドラ・ヒュラーの一世一代の名演。
愛犬の身体を張った熱演。
隅々まで計算された、すごく良くできた映画になっていて、第76回(2023年)カンヌ国際映画祭でパルムドール(黄金のシュロ(ナツメヤシ)賞)を手にしています。