非常に「現代的」な法廷劇で、王道的なフォーマットに、結末やテーマの提示のさせ方などアカデミー賞で評価されるのも納得の脚本の力を感じる。
自殺か?他殺か?
というミステリー要素を通して、弁護士のヴィンセント(スワン・アルロー)に「真実よりも見え方」によって裁判は進行するという示唆が見事。
しかも被告人とされるサンドラ(サンドラ・ヒュー)に対して恋愛感情を持っている示唆と、サンドラ側も性格的にオープンであるというセンシティブな部分を意地悪にミスリードしてくる演出。
法廷ではその「見え方」が立場によって切り取られ印象が「操作」されていく。
検事(アントワーヌ・レナルツ)の意地悪なこじつけの尋問。作品評で「Hot Loyer」と言われるヴィンセントの「容姿」に感情移入させるような見せ方。
加えて裁判という場によって、映し出されるのは「当人たちにしかわからない事情」が第三者の目を通して見ると「誰もが有罪にできてしまう」という倫理観の脆弱さ。
この辺りは、キャンセルカルチャーであったり、年々加速度的に暴走していくソーシャルメディア上での「正義」の危うさとも呼応する。
最終的に、決断を下す際に材料が不足している場合は、妥協ではなく、真に得心が行く回答を持って心を決める、という「何を信じるかは自分の頭と心で決める」という真理に帰着する点はよくできている。
現在のような社会に生きていると「フェイクニュース」などによって真偽の不明な情報に翻弄さらて、あるいは扇動されて安易な感情論で善悪をジャッジしてしまうのが普通になってくる中、結局はその答えにしか辿りつかない。
ただ本作がそのメッセージに対しても突き放しているように受け取れるのは「勝訴」となった場合でもありがちな歓声や「盛り上げ」は行うわけでもなく、またセリフでも説明されるように「単なる勝ち負け」に過ぎないという描写に表れる。
映像的表現としての「映画」というよりは、非常にストーリー重視の脚本のプロットを活かす為の劇映画という形ではあるが、その「見え方」の重視される世界こそ一番警戒すべき。という教訓を得た。