このレビューはネタバレを含みます
『落下の解剖学』
でも、ほんとうに解剖されているのは事件そのものではなく、被害者・被疑者・そしてその家族だ。
夫婦の会話の録音、自分の不倫の過去、息子が目に障害を抱えることになった事故、そして夫の自殺未遂。
そんな誰にも話せないようなことを見知らぬ大勢の人たちの前で公言されてしまう。
事故だったのか、妻が殺害したのか、
「事実」は誰にもわからない。
最後の息子の証言の真偽さえも
わからない。
ただ、父親が自殺を図ったことだけは本当だったのだろう。
妻は裁判に勝利し晴れて息子のもとに戻ることができるのだが、心は晴れない。
夫は亡くなり(自殺であれば妻も苦しい)、自分の知られたくない事実を世間に発信されてしまった。失ったものがあまりにも多すぎる。
裁判とは本当に恐ろしい。
決定的な証拠が足りない時は、それらしい仮説や検証で弁護側も検事側も自分たちの持っていきたい方向に誘導する。
夫婦の言い合いのシーンはすごく辛かった。『マリッジストーリー』を彷彿させるなと思ったら、ジュスティーヌ・トリエ監督は『マリッジストーリー』の特にアダム・ドライバーとスカーレット・ヨハンソンの喧嘩のシーンが好きだと語っていた。本作の喧嘩シーンは『マリッジストーリー』に向けたオマージュかも。
真実はひとの数だけある。
だからこそ、見えにくい。