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落下の解剖学のmaiのネタバレレビュー・内容・結末

落下の解剖学(2023年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

ミステリー仕立てと思いきや様々な問題を浮き立たせて思考することをやめさせない見事な脚本。
様々な視点から語れそうだけど、主に3つの要素が私は気になった。

⚪︎ケアとフェミニズム
ケンカのシーンは日本でいうと男女を逆転させているように見える。あれはいかにもそのあたりにありそうな会話だ。
個人的にはサンドラが途中からTARのケイトブランシェットにしか見えなかった笑
ミステリーを装ったフェミニズム映画だと個人的には感じた。

【文学から現代の“ケア”を考える『ケアする惑星』。著者の小川公代に聞く(BRUTUSより)】
https://brutus.jp/care_ogawakimiyo/
「“気遣う(care for)”と“気にかける(care about)”という言葉があります。前者は直接的に世話すること。後者は必ずしも具体的なケアは実践せず、“家族のためにどれだけ稼いでくるか”などとケアへの思いを金銭などで補完している。どちらも尊い行為ですが、女性が担いがちなcare forの能力への評価は低いままです。一目瞭然なのはケア労働者の処遇ですよね。それは、人の世話は誰でもできるだろう、という考えが浸透してしまっているからだと思います。
しかし、重労働から体を痛めたりひどい言葉を浴びたり、大変な目に遭うことも。また、相手が何を求めているのか察知し、辛さや痛みに寄り添って手助けするというのは実は非常に難しく、知力・体力を総動員する高度な能力です。ケアに従事する人々への感謝とともに、生きやすい社会を作らなければならない。そのためには、一人一人が想像力を働かせて、見えなくされている存在の声に耳を傾けること。そこから、見えない労働の存在と価値を明らかにすることが重要です。その想像力を鍛えるために文学があるのだと思います」

彼女の夫には罪悪感もありそれが更に感情を複雑化させている部分もあるが
まさにこの映画が伝えたかったのはこのケアcare forのしんどさの部分なのかなと考えたりもした。

⚪︎選択と成長
息子が選択を迫られるシーン
何事もだけど、自分で選択すると結果はある程度全て自分が背負うことになる。
選択するにも毎回はっきりした目に見えている、何か参考になる何かがあればいいけれど、大概の選択にそんなものはない。
誰かに決めてもらう方が楽だ。
そんななか、自分で選びとる苦悩。
「こころを決める」こと。
それはきっと大人になることなのかも。


⚪︎真実に意味はあるのか?
裁判中の傍聴席の人たちのにやにや顔。
弁護士が度々言う「どう見えるかが大切」

この事件のニュースをTVでは「まるで小説のように感じたいから、妻が殺したと考える」と。

真実はわからないまま。
人は真実をもとめるようで実は違うのかもしれない。
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