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枯れ葉のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

枯れ葉(2023年製作の映画)
3.8
【冷たい眼差しに交える生きる眼差し】
動画版▼
https://m.youtube.com/watch?v=2PfG6NXgE2w&t=8s

第76回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞し、カイエ・デュ・シネマをはじめとする様々な媒体で頭角を現してきたアキ・カウリスマキ新作。カンヌの時の雰囲気から、いつも通りのカウリスマキ映画だろうと思っていたのだが、今回は彼の集大成的な作品であった。

社会派作品は、問題提起をしていること自体が重要視されるため、映画的であるかどうかにかかわらず甘く評価されがちだ。『枯れ葉』における運動を観ると、多くの作品が運動や眼差しで社会問題を捉えていないことが分かる。冒頭、警備員の鋭い眼差しにさらされながらアンサはスーパーで作業をする。スーパーでは廃棄物が出る。日本同様、賞味期限切れの食材を持ち帰ることはできない。持ち帰ろうとすると、鋭い眼差しを持つ警備員に止められクビとなる。この警備員の瞳は、監視カメラのように瞬きをしない。社会システムの冷たさに染まった存在として彼女の前に立ちはばかり、排除していくのである。そのような冷たい社会の中、僅かな賃金を得て暮らす彼女の生活をジャンヌ・ディエルマンのように捉えていく。家に帰る。食事を作る。椅子に座る。オーブンで食事を焦がしてしまい、不貞寝する。そこにセリフはない。しかし、そこには労働でやつれた女性の肖像があるのだ。

映画はカラオケバーを中心に、その他大勢として生きる者の人生を浮き彫りにしていく。日本と違ってフィンランドのカラオケバーは、一般人が大勢の前で歌うスタイルを取る。普段はその他大勢の立場であっても、数分だけは多くの眼差しを集めるスターとなるのだ。だが、主人公であるアンサもホラッパもそこに立つことはない。そこにすら立てない者同士が、微かな眼差しを交え、静かに親密な関係性を紡いでいくのである。

アキ・カウリスマキの職人芸ともいえる哀愁描写に舌鼓を打つ一方で、気になる点が2つあった。ひとつは、ラジオだ。定期的にラジオでロシアのウクライナ侵攻に関するニュースが流れてくるのだが、これが単にアクチュアルな問題を並べただけにしか見えなかった。社会の漠然とした不安を表しているといえるのだが、あまりに雑だろう。アンサはネットカフェの料金も払えないくらい困窮し、スーパーの消費期限切れの食材をこっそり持ち帰ろうとしていることを踏まえると、ロシアのウクライナ侵攻により物価が高くなっているというニュースを流した方が良かった気がした。電気代の支払いに不安を抱く場面を、書類を見る、電気を片っ端から消す運動だけで演出していた凄さがあっただけに残念に感じた。

また、2023年は『バービー』や『Manodrome』と映画において女性が男性をケアする状況を批判的に演出した映画が登場する中で、ストレートに中年クズ男を中年女性がケアする着地に持ってきている『枯れ葉』がステレオタイプに感じてしまう問題もあった。終盤に行くに従って、アンサがホラッパをケアするだけの存在になっていってしまっているのは気になった。つまり、アキ・カウリスマキの集大成といいつつも随所に惜しさを抱えた一本であった。
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