マカ坊

関心領域のマカ坊のレビュー・感想・評価

関心領域(2023年製作の映画)
4.3
緑豊かな彼らの庭とアウシュビッツ強制収容所を隔てる「壁」がスマホのモニターに置き換わった現代において、その「壁」を取り除くために一個人ができることは何だろう。

とりあえず大して興味のない芸能ニュースなんかを暇つぶし程度にクリックするのをやめる事から始めようか。分断を加速させるのはいつだって経済的な要請だ。

真っ暗な底なしの穴にゆっくりと落ちていく様な、ミカチューことミカ・レヴィによる不穏なシンセサウンド。彼女は「MONOS 猿と呼ばれし者たち」あたりからいよいよ本格的に映画音楽家としても評価されている様で、元インディキッズとしては嬉しい限り。

音の中で耳を澄ます他ないこの冒頭数分間の暗闇は観終わってみればこれ以上ないイントロダクションだと思えるもので、つまりこれから始まるこの映画は、よくよく「聴く」事が必要なんだという丁寧な前説になっている。

一見穏やかで理想的な家族の日常の背景から、心底恐ろしい「距離感」で聞こえてくる音や声。クローズアップを極端に排したカメラの位置も含め、この「距離感」が生み出すカッコつきの「退屈さ」が何より恐ろしい。

「積荷」として人々を運ぶ列車の排煙、壁を隔てた美しい庭では子供達がおもちゃの汽車で遊んでいる。「灰」が付着したボートは岸辺に半ば打ち捨てられている。馬や犬に人格を与える事はあっても、壁の向こうで苦しむ人の事は人とも思わない。そんな直接的な暴力を描かない事で強調される残酷さの中で突如差し込まれるナイトビジョン。

作中で最も「人間的」な振る舞いをみせるポーランド人の少女がこっそりとリンゴを埋めるその姿は、最早人間としてではなく、「熱源」としてその輪郭をキャプチャーされる。ささやかでも気高いエネルギーの塊として。

ネガフィルムの様に反転したコントラストの中で作中ほぼ唯一の「あらまほしき人間らしさ」を捉えたこのシークエンスは、見かけ上の美しさを淡々と映した一家の日常シーンと見事に対偶だ。

美しい映像が人の醜さを炙り出し、奇妙な映像が高潔な精神の輝きを捉えるという、この極めて映画的な意匠の反転に思わずハッとさせられた。

監督のジョナサン・グレイザーがオスカー授賞会場で語ったように、今作が改めて浮かび上がらせた無関心さがもたらす悲劇は今現在も世界中を覆っている。

しかし、イスラエル兵に食事を提供し続けるマクドナルドの店舗でビッグマックを頬張りながら今作の感想を語り合うカップルを、あるいはパレスチナに連帯を示した労組を締め付けるスタバの椅子に座ってストロベリーフラペチーノを飲みながら今作の恐ろしさを反芻する大学生を、一体どれほどの人が批判する事ができるのだろう。

人身事故の構内放送と、その先にある実在の、ごく身近な悲劇にさえも不感症になりつつある無関心な私も彼らと同じ。

暗闇の中で見つけた我が子には手を差し伸べるヘスはしかし、同じ暗闇の中に見た未来の確定した悲劇には踵を返す。

映画館という暗闇で"未来の今"を覗き見た観客の"吐き気"を止めるには…。あるいはそんな"吐き気"すらも飲み込んで無関心を決め込むのか。
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