マカ坊

悪は存在しないのマカ坊のネタバレレビュー・内容・結末

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

破壊的な面白さ。思わず7インチ付きパンフレット、いやパンフレット付き7インチ買っちゃったよ。

「悪は存在しない」は殆ど、ゆらゆら帝国の「あえて抵抗しない」だ。悪は存在しないと言っていながら、一方で悪は存在するとも聞こえてくる。どちらでもないのでは無く、どちらともが有る。

撮影が行われた長野県の原村には、私の好きなバンドOGRE YOU ASSHOLEのフロントマン出戸学がスタジオを作って暮らしている事もあってか、主人公の巧の朴訥としたキャラクターに勝手に出戸さんを重ねる部分もあった。(そういや石橋英子とも共演してるし、ジム・オルークと坂本慎太郎と原村でライブやるし、オウガのメンバーがこの映画をどう観るのか観たのか気になる…。)

まずもって録音が良い。薪割りの音とかも同録らしい。振り下ろされた斧が薪を割りコーンと響く。それだけでなく台座に薪を置く際のコッという音まで。田舎の澄んだ空気演出の域に留まらない音響の悦びが耳に心地良い。

石橋英子が自身のライブパフォーマンスの為の映像制作を濱口監督に依頼した事から始まったというそもそもの企画の出発点から考えても、音楽が今作の印象に寄与する部分は大きい。それは必ずしも曲が実際に鳴っている場面に限らない。中盤めっぽう感興な会話劇に夢中になっている間には気づかなかった「音楽の不在」が、第三幕で再びあのテーマが流れ始めると同時に無音のリフレインとして遡って脳内にこだまする。

濱口竜介は自身の作品におけるカメラの位置について、特に今作は誰かの視点を肩代わりしている訳ではないと、いくつかのインタビューで答えているようだ。誰かの代弁者ではなく、ただそこに、そうある様にあるカメラ。

クライマックス直前、黛が花ちゃん行方不明の町内放送を聞きながら沈みゆく太陽を見つめるシーン。少し引いたカメラが捉える煙突からの煙が少しずつ画面を覆っていく様子のノワール感に思わず唾を飲み込んだ。何かが起こる予感と緊張。不確かな世界が始まる。そして席から立ち上がりそうに、いやずり落ちそうになるほど衝撃的なあのチョークスリーパーシーンに至っていよいよ視界を覆い尽くす霧。

隠された「真実」とやらを読み解き手っ取り早く気持ち良くなる為の「考察」に興味はないが、この結末を見届けた我々は確かにその霧の向こう側へと足を踏み入れたくなる。

直前の車内の会話で、鹿が人を怖がって逃げるなら、グランピング場の建設にとって不都合はないのでは?というある意味人間らしい言説に触れた巧の目は、人間を真っ直ぐ見つめる手負の鹿の瞳と同様、暗く深く、そして空洞だった。

その後の展開を経て、ひとまず自分の中で、巧=「半矢の鹿」という、か細い線を引っ張ってはみるものの、そんな考えが浮かんだ次の瞬間にはそれもまた深く濃い霧の中に溶け込んで、一向に頭が晴れる事がない。ああでもないこうでもないと考え続けることで牛の糞の様にパラノイアは募り続ける。

大事なのはバランスだと言う巧の考える「バランス」の境界は、都市生活者としての高橋や黛、そして我々観客が想うものとは最初から乖離していた。

いわゆるメソッド演技とは対照的なアプローチであえて巧に与えられた「空洞」。それを埋めようと思考する営み自体は非常に興味深いのだが、その巨大な空白を前にとりあえずは第二幕の会話劇の圧倒的な面白さをただ反芻していたくもなる。
すぐにinterestingよりfunに傾いてしまう私の思考は正に「あらまほしき自然」をお手軽に摂取したがる都市生活者のそれだ。

何か教訓めいたことがある様で無い様でやっぱりある…ことも無い…のか?と、ひたすら逡巡し、考え続けてしまうだけの圧倒的面白さが今作にはある。

そういう意味で、ひとまずここに悪は存在する。悪は楽しくて気持ちが良いのだ。
マカ坊

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