このレビューはネタバレを含みます
前のカンヌからずっと気になっており、マッシブアタックやレディオヘッドのMVは世代なので、あの人がどんな映画作ったんだ?しかもホロコーストの?と。
しかしそんなのが、すっげぇ軽いサブカル脳だったと。
やっと観れたという感慨よりもずっと深く強く、壁の「向こう側」からの煙と音、昼夜関係なく五感に入ってくる視覚以外のものに戦慄します。
画面ではのどかで平穏な金持ちの日常が延々と。
目撃者になろうとしない、イデオロギーに撫でつけられた人の営みがこんなにも残酷なのかと。。
途中、ネガポジが反転した映像になるのですが、土の山やスコップの影にりんごを落としていく少女が写ります。
肉眼では見えないだろう暗闇で行動する少女、少女が帰宅する家では風が吹くと洗濯物を片付け、窓を閉めます。
ああ、人の焼ける臭いがするんだ。。。
日常の倫理が焼き切れていく中で、善性の維持は肉眼では見えないのだ。。
今、パレスチナやウクライナでの惨状、戦争が同時代で起こっているのを見ている私はおそらくヘス家の人間なのです。
買っていない毛皮のコートをフィッティングし、遺灰ですら汚物のように扱い、人の命に軽重をつける生活に疑問を持たない姿。
どんな叫び声が聞こえても助けようとする必要を感じず、自分が朝食を食べ庭の心配をしている間、何人の命が断たれたか気に病まずいられる。
この映画には、観客を強制的に「ヘス家」にする力があります。
暗闇の中、りんごを落とす少女とは同期させてくれません。
ヘス家の子供達が着ている服、靴。
ヘス家の調度、美しい庭。
使用人に使う言葉、、。
何か自分より大きい・正しいと思う存在から承認された時、その承認を下した存在が人命を消せるなら、何を罪に問えるのか。
単調・冗長だと思うなら、カット・シーンの間に何人死んだのか想像してみて欲しいです。
みている間、そう、「焼却炉」と「ガス」までに何があったか知る方法があります。
アウシュビッツのガラスケースの「中」に山づみになる、靴、トランク、服。持ち主を想像しましたか。
掃除機の音が響く中、目に映るものが「遺品」なのだと。
シンドラー氏や杉原千畝氏にいかに感化されようとも、今起こっている虐殺に不感なのであればナチスと同じだと突きつけられ、あの肉眼では見えないだろう少女の行動を思い起こしました。