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関心領域のarchのレビュー・感想・評価

関心領域(2023年製作の映画)
3.3
「聴くこと」を強要する冒頭。画面は黒一色、音のみ。
耳をそばたてよ、と本作は明確に強要する。
ホロコーストの惨劇を直接的に描写せず、音で壁の向こうで起こっていることを連想させる。音がイメージさせる光景と、その音に「無関心」な家庭の様子がただただ異様で、信じられなくて恐ろしい。
だが肝心なのは、その「音」に我々はどれだけの間、関心を向け続けられるのかだ。
あらゆる場面に些細な兆候と、ある種のイメージを連想させる仕掛けがあり、それを汲み取れるのか、またその過程で「音」に慣れてはしまわないかを我々は試される。
「音」は当時のアウシュビッツでの出来事を調査した忠実な「音」であるそうで、本当に実在したあの家の人たちは、我々が聞いた通りに「音」を聞いていたそうだ。
果たしてあの家族と我々にどの程度の違いがあるのだろうか。今現在海の向こうで起こっているジェノサイドだけでなく、身の回りの社会問題などに我々はどれだけ慣れず、関心を向け続けられるのか。信じられない光景は、本当に"信じられないのか"。その不可能性に何よりどん底の気分にさせられるのだ。

この映画体験は、単に「音」にこだわるだけでは成立しない。冒頭のシークエンスからラストに至るまで、精密に構築されたシーンの連続がそれを可能にしている。
例えば我々は冒頭のピクニック、車での帰宅、自宅での消灯という順番のシーンによってこの映画に招かれていく。まるでトリアーの『ヨーロッパ』の冒頭テンカウントのような導入。彼らの家へと我々は丁寧に招かれるのだ。

部屋の中では既に全部屋にカメラが配置されているかのような映像が続く。(実際そういった監視室のような撮影体制で各部屋の映像をモニターしながら撮影したらしい。)
移動先に既にカメラがある感覚は、我々を息苦しい感覚を募らせていき、監視者としての視点をもたらす。
またそれらはフィックスショットで、尚且つ白人しか画面に映らない映像だということでロイ・アンダーソン的。
ただ異様なのはカットスピード。どのカット若干早めに切り替わっている印象で、かなり生理的な違和を演出している。

またシーン繋ぎで言えば、白眉ともいうべきはラストシーンだ。唐突な吐き気をさいなまれる場面で、切り返しショットによって、現代へと場面が変わる。切り返しショットって本当にすごいなと思わされるこのシーンは、言うなれば唯一"壁"を乗り越える瞬間なのだ。
現実と過去の間にある壁、唯一ヘスが壁の向こうに関心を向けた瞬間ともいえる。
これらの視覚レベルも相まって本作の映画体験は構成されている。

他にも画面が赤く染まる場面によって、慣れかけていたことを悟られる巧妙な演出や、子供たちが変調を来たしている様子が些細な描写で描かれているところなんかも良い。暗視映像で描かれてる彼女は実際に存在した少女らしく、彼女だけが「関心」を持ち続けていたのだというのも、良い。(その姿を誰も見ていないからこそ暗視映像)



ただやっぱり「見えない」ことの効果が果たしてどれだけあるのかは疑問だ。『オッペンハイマー』だって彼の伝記としては評価するが、反戦反核のテーマとして、主観に徹すること価値があるとは思えない。
本作においても、ホロコースト表象としては「見えない」ことに徹底している為、前提知識がないとそのイメージもできないのではないか。(夜な夜な来る列車に誰が乗っているのか。"カナダ"が意味するところなど)
ホロコーストの表象限界については映画史においても色々議論があった訳だが、その点は興味深くも、そもそも「関心」がない人には刺さらない作品ではあると思う。
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