アメリカンドリーム型サクセスストーリー、マキャベリズムの継承、そのどちらとしてもテンプレ的で逸脱したものがない。
だが、この画一的で目新しくない《サクセスストーリー》の延長線上に、現在2度目の米大統領を就任したドナルド・トランプがいるのだ。
この事実が、《勝利》を至上とした価値観やその為のあらゆる虚飾が真実以上に価値を持ち、看過されてきた"今"の時代を映し出している。
つまり、こんな「つまらない在り来りなストーリー」の男が遂には大統領になってしまったというショックを改めて今改めて噛み締める他ないという映画体験なのだ。
『ジ・オフィス』や『ブルックリン99』のようなドキュメンタリータッチのシットコムのような映像感で始まる本作は、時代が進むにつれて、その"色合い"が褪せ、重心の低いどっしりとしたカメラワークになっていく。トランプの変化を映像的に補助していて良い。
16mmで70年代を、VHS風加工で80年代を思わせるフッテージ風映像にしているが、セバスタが映る場面はメインカメラで撮影しているので、その映像毎のギャップが個人的には苦手。
1度の鑑賞じゃ分からないが、後半ややそのギャップが埋められていき、時代と同化していくような印象を受けたがどうなんだろ。
どちらにせよアメリカ時代劇としての面白みはない。80年代表現としてNewOrderの「BlueMonday」とアンディ・ウォーホルなんて手垢つきすぎて鼻じらむ。
そもそも「70年代80年代に生きてる彼ら」よりも「彼らが生きた時代こそ70年代80年代」という作りなので望むべくもない。
主にロイ・コーンとドナルド・トランプの関係性に焦点を合わせた話なのだが、彼らの初邂逅がフレーム内フレームと切り返しショットによって、まるで鏡面関係にあるように暗示しているのが、凄く示唆的。
彼らは師弟関係で、ロイ・コーンの盛者必衰の変遷は、そのままトランプの反面教師や教訓めいたものになるはずだ。だが、そうはならない。
トランプはロイ・コーンの《3つのルール》を完全に体得し、最終的には本当に「自分のもの」にしてしまう。
虚飾と自己矛盾の果てに破滅したロイ・コーンを前にしながら、一切顧みずにトランプはその"鏡面"は無視するのだ。(ロイ・コーンはトランプに若い頃の私のようだと評価したりするのに)
この彼の滑稽さと、本当に彼は必衰なのか?と疑いたくなるような前進するエネルギー、そしていつか破滅するにしてもそれまでに轢き倒すものの数の多さ※に震えるしかないのだ。
※2025年1月末現在、大統領令によるバックラッシュはまだ始まったばかりである。
鏡、「自分の姿を映す」は本作で繰り返されるアクションだ。
その中でも印象的なのは、天井にある鏡面からの変則的なティルトだ。それはロイ・コーンの部屋で初めて3つのルールを語るシーンとトランプが最後に記者に3つのルールを語るシーンで、意図的に反復される。(部屋に同じように額縁が飾られているのもそう。)
それはまさにロイ・コーンの破滅を見ながらも、ロイ・コーンをトレースするトランプの姿勢。
そこには彼の「滑稽さと狂気」の根源のようなものがある。
フランケンシュタイン的な交代劇というよりか、「過去から学ばない」「過去がなかったことになる」ことの恐ろしさの上にこの映画のラストの余韻はある。