(2024.51)[9]
アウシュビッツ収容所の隣に居を構えるナチス親衛隊幹部のルドルフ・ヘスは、収容所での虐殺に手腕を振るいながら、家庭では良き父親としての顔を併せ持っていた。そんなある日、ルドルフは昇進に伴い異動を命じられるが、今の生活が気に入っている妻からは引っ越しを断られる……というお話。
ナチスについて描いた作品は色々と観てきたつもりだけど、アウシュビッツの隣で幸せに暮らす家族を淡々と描くのみという作品は流石に初めて。家の塀の向こうがすぐ収容所になっており、美しい庭から見える空には焼却炉から立ち昇るドス黒い煙が上がるし、家族の団欒の最中に悲鳴が聞こえてきたりと、画面の端や意識外の音からそこで残虐な出来事が起きているんだということを意識させられるような形になっている。『サウルの息子』が一人称視点で収容所の中を描きミクロな視点で虐殺を描いていたが、それ以上に客観的な立場で見ることになる。
怖いのが、ルドルフ以外の家族がそういう生活をするにあたって隣で起きてることを知らないとか無関心とかではなく、明確に何が起きているのかを知っている上で素知らぬ顔をしているというところ。特に妻はユダヤ人から奪い取った物を品定めしていたり、虐殺なんて何とも思っていないのが恐ろしい。
冒頭のシーンでは映像がなく音を延々と聞かされ、今作では音が重要な映画であると宣言されるんだけど、正直なところその冒頭での音の演出を超えるようなインパクトが本編に無かったかなという印象。結局メインで見せられるのはナチス高官一家の面白くもない日常生活で、聞こえてくる音も確かに厭だが映画の退屈さを塗り替えるほどの強烈さはなかった。
こういう恐ろしい出来事の裏返しである退屈さこそが問題提起に繋がっているというのは分かるんだけど、100分ほどの長編映画としてはテンションが一辺倒になってしまっているような感じがした。ジョナサン・グレイザー監督がMV出身というのも関係あるのかもしれないけど、設定やビジュアルのインパクトは間違いなく凄いがそこからの積み重ねに物足りなさを感じてしまった。
題材に対するアプローチの仕方は興味深いし、実際良かったとは思うんだけど、これまでアウシュビッツを描いてきた作品の強烈さに比べると、どこか作品としての熱量の少なさが気になってしまう一作だった。