2025年度の年間ノルマ80本中17作品目。
『関心領域』を観させて頂きました。
こちらは最近注目の『 A24』ですな。
実際にタイトルからは何もわからないし、
好きな漫画『呪術廻戦』の『領域展開』とも違うし、一体何なんだこの映画は、ホラーなのか?それともわけわからん系の作品なのか。
気になってずっと配信されるのを待っておりました。
実際にタイトル以外は何も知りません。
まずは、ネタバレなしの率直な感想をば述べます。
『めちゃくちゃに興味深い設定でしたね。むしろ設定だけが本当に面白い。仕掛けとしては十分に成立していたと言えます。
ただ、一つ苦言ではないですけど、文句があるとするならば、『長い』っすね。
長いんですよ。正直作品にストーリーの様なものがあると言えばあるんですが、実際のところは殆どないに等しいので、
なんて言うんですかね。事実をずっと見せられているだけと言うか、その場にいる人の感情とか、物語の起承転結なんかがめちゃくちゃ薄いと言うか、ない?レベルだと思いました。それ故に、長く感じてしまうんですよね。
んで、人って長いと感じると、結構頭の中が映画から離れちゃうんですけど、
なんかこの作品に関して言えばむしろ俯瞰で見るためにわざとやってらっしゃる?
って感じました。冒頭とかのタイトルが特にそう感じるんですが、長いんですよ。
でも仕掛けとしては凄い良いというか、面白いんですよね。タイトルもピッタリだった様に思います。』
※またここより先はネタバレを含む感想になりますのでまだ観てない方はご注意を、
まぁ最初にカラクリというか作品のシステムだけ説明しますと、
この関心領域という作品は、文字通りその人の関心のある部分しか映像がフォーカスされない作品であり、
アウシュビッツ強制収容所の横に住む将校さんとその家族のお話なんですが、
家をぐるりと囲う高い壁の外ではおそらく常に誰かが殺されているか、もしくは重労働を科せられているかのどちらかであり、
絶えず誰かの悲鳴や、何かの燃える音、それらをかき消すような機械音がしておりますが、
それらは家族からしてみらた関心の外側の世界であり、映像にならない。という仕掛けがあります。
兎にも角にもこの仕掛けのみの作品という感じでしたね。やろうとしてる事、またそれらを見ている我々にも同じことが言えないでしょうか?という事を訴えてくる意図の様なものはわかります。
貴方方もそうですよね?と、
街でホームレスがダンボールの家で寝ているところを横切る際に、じっくりと見てますか?それともそもそもそこにそんなものは存在なんかしてない。みたいな感じで通り過ぎてやしませんか?
みたいな事を訴えかけられている様な作品でしたね。
その仕掛けは本当に面白いんですよ。悲惨な部分をあえて徹底的に排除し、観客には見せない。けど、音はそこで確実に何かを訴えてくるみたいな。全然集中できないんですよね。
ただ先にも説明した通り、そういう訳だから作品にストーリーがあまり感じられないんですよ。誰かがどうなると言うわけでもなく、
ただそこに家族がいて、旦那が異動になったりはするものの、それで物語が大きく動くこともなく、
ただラストで突然なんて言うんでしょう。
今は多分博物館なのか、資料館になっているのかはちょっとわからないんですが、
当時のアウシュビッツの様子がよくわかる博物館的なものとリンクすると言うか、
時代が突然変わると言うか、こういうの何で説明したら良いんだろ??
とにかく突然博物館の映像というか、博物館の準備をする係の人の映像というか、普通に掃除している人の映像になるんですよ。
それまで異動した将校さんが普通に階段降りてるなーと思ったら突然吐き出すんですよね。オェーって、
そしたら博物館になるんですよ。そしてなんとそのまま終わるんですよ。それがエンディングなんです。結構頭抱えちゃいましてね。
どうしたもんかねって、
まず考えなきゃならない事は、
1.なぜ将校は吐いたのか。
2.なぜ博物館の映像が必要だったのか。
まぁ色々他にもあるかと思いますが、ちょっとこの二つに絞ります。
まず将校が吐いたのはどういった理由が考えられるのか。
将校は嘔吐の前に妻と電話をしてパーティでの話をしておりました。彼はパーティに参加したけど参列者の顔ぶれよりも
そのパーティに参列した人をどうやったら一度にみんな殺せるかを考えていたと話しました。
階下では参列者たちがお酒を飲んだりして楽しんでる中、彼は部屋の大きさ的に天井が高いからガスでは一度でみんな殺すのは難しいと話してましたが、これが彼、そして妻にとっては日常的会話なのです。
嘔吐とは脳と体の拒否反応から来るものだと推察できますが、
それは
1.自分の人生に日常的に殺人が関わってきている事への拒絶反応。
2.日常生活から離れ、殺人に関われなくなってしまった事への拒絶反応。
このどちらかなのでは?と感じました。
そして心のどこかでは彼には人間性みたいなものを求めたいので、1なのでは?と思いたいのですが、僕としてはひょっとしたら2なのでは?と思いました。
作中でハッキリと言及されたり映像化されてはないですが、彼には秘密裏にユダヤ人捕虜を私室に連れてきてお楽しみをする的なシーンがありましたが、その後、彼は自分のイチモツを布で拭っている描写がありました。これら人間的に性的欲求はあるものの、
やはりユダヤ人を人間とは思っておらず、
人間ではない別の何かと捉えている節があります。また、もしかしたらユダヤ人を絶滅させるという思考そのものが本当の正義であり、自分に課せられた使命と信じて疑わないんだなと感じました。
だからこそ、そんな彼の使命や、信念から離れると身体がそれを拒絶し、またあの日常へ戻りたいと嘔吐してしまったのでは?と思えてならないのです。
例えば、妻の母が家にやってくるシーンがあったじゃないですか?しかし、ある朝母の姿は寝室になく、また荷物もない。あそこのシーンへの回答もないですが、夜中に火柱が上がる光景を窓から眺めていましたが、
おそらく常人の精神状態では1日ももたない。例え愛する娘の家とは言え、すぐ横で人を燃やす環境で平然と生きられることの方が異常なのだとわかります。
つまり、やはりこの将校の家族はもはや人とはかけ離れた精神性の家族であり、やがてここで育つ子供たちにも、そしてその子供達にも、
それは伝染していくのではないだろうか?
答えはわからないです。
1かも知れないですし、1と思いたい。でも、実際にこれを見る我々もまた彼と同じ人間であり、人間はその時の思想や、世界の情勢でこれだけのことをしたのが紛れもない事実であり、
今ではあり得ないとされているあのアウシュビッツの現状はほんの100年前まで確実に行われてきたのです。
そう考えれば我々日本人も、つい昔は特攻をさせていたり、切腹をさせていたりした人種なので、
決して『こんな事はありえない』と思う事がちょっと前までは当たり前となっていた部分に物凄い恐怖がある作品だなと感じましたね。。
問いの2.なぜラストに博物館の映像があったのかは、日本にも原爆ドームがある様に、
そう言った歴史を見ないで生きる事は可能です。自分たちの『関心領域』から外す事は可能なのですが、
そこに関心を向ければ、それらの歴史は常にそこにありますよという警鐘の様な気がしますね。。
わかりました?俺の説明、なんか勢いでバーっと書いてるので自分でもまとまってるのか怪しいですが、つまりそういう事です。
今回はこの辺にします。