アウシュビッツの所長ルドルフ・ヘスとその家族がホロコーストの進む収容所の隣家で幸せに暮らしてるさまを淡々と映した映画。
ヘス夫妻(特に奥さん)を自分の行いの罪深さに対して無自覚な「凡庸な悪」として描いている。
ナチスは、現代において「殴っていい奴」の代表格だ。
それを改めて殴る。
この表現の背後には極めて一方的な正義を感じる。
それこそ「ユダヤは絶滅すべし」としたナチスの正義に似たものだと思う。
これは、殴っていい奴を殴る……いや、殴っていい奴を、みんなとは別の角度から殴ってみました、という映画だ。
監督の若さを感じる。
むろん、戦中のドイツ人がやった事は全然擁護できない。が、だからと言ってそれを完全な他人事としての糾弾をゆるされる人間もまたいないだろう。
人類の性質を知るために、時折思い出す必要のある事実ではあるが、しかしそれは敵意剥き出しで過去を批判するためではない。
ドイツは第一次大戦後に重い賠償金をかけられて国内がぐちゃぐちゃになる経験をしている。
我々とは置かれた環境が全く異なる彼らを、現代の縮尺だけで断罪することは愚かだ。
混乱の時代を生き、殺らねばやられる切迫感で生きた人達が、家族の幸福を守るため、徹底して利己的になるのは自然なことではないか。
想像だが、人間をすり潰すように使役して働けない者をガス室送りにすることが罪深いことくらい、当時の人もわかっていただろう。
それを、富める者への憎悪や、排除されたら自分も危ないという全体主義の切迫感が上回ったのではないか。
さらに言うと、同時代の他国、戦勝国でも人種を理由にした隔離は行われていて、結局この時代の人たちの他人種への感覚ってドイツに限らずそんなもんだったんじゃないの、という感じもして、どこも擁護できない。
能書きの多い映画なのでその辺も気にしつつ見ていたが、正直なところ映画としてはつまらない。
5分10分のショートフィルムならありだと思うが、長尺ではどう言い訳しようと退屈。
センセーショナルな予告編を作ることに意義のある作品だったのかもしれない。