Frengers

リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシングのFrengersのネタバレレビュー・内容・結末

3.6

このレビューはネタバレを含みます

「俺の教えを広めてほしいんだ」という言葉を誰よりも実践したのが本作であること。高所からの啓示としての教会の光とスポットライト。その光そのものになってしまった人とも言えるだろう。神に身を捧げ、同時に後継が続く道を照らしだした。同時代の作家から多くの物を取り入れながら自身を形作る様はポップミュージックの轍そのもの。洗濯板を往復する手がラグタイム的伴奏とオクターブによるオブリガードによって打楽器と化すことによって生まれ、性衝動と軋轢をそのまま歌にすることによって、本来のアフリカン・アメリカン的出自を遥かに超えた人に届くことになった。しかしリトル・ジェームス本人は何かに完全に受容されることは無かった。それは音楽業界、宗教だけでなく家族でもあった。そんな彼が初めて世界に受け入れられる場として表現されるアメリカン・アワードの場面は流石に泣ける。彼の様に自身の表現として織り込んだエルヴィスやキース・リチャーズ、デヴィッド・ボウイが「あなたこそがパイオニア」と言ってもその外側は如何に彼にとって冷徹な世界であったかが滲み出る。光とそれが照らす粒子は今もそこに彼が居ることを予感させる。それは彼が信じぬいた音楽と神の存在と同じように存在する。
Frengers

Frengers