すきま

瞳をとじてのすきまのネタバレレビュー・内容・結末

瞳をとじて(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

記憶というのは、視覚や聴覚単独ではなくて、共感覚的に記録されるものらしい。例えば雨の日は、湿気や匂いや音に手触りなどが一緒くたに残る。
この映画で、写真では蘇らなかった記憶が映像だと揺り動かされるのは、そのせいだろう。瞳をとじるのは、それら立体的繋がりを呼び覚ます為の準備体操なのかもしれない。
そして音楽は、出来事や固有名詞とは脳の別な場所に深く刻まれるから、好きだった歌や踊りの記憶は消えにくい。
未完映画の部分を始め、風景描写がとても美しかった。
夜の海辺など、情報量が絞ってあるからか、自分の懐かしい記憶のようにも感じた。犬の世話をしてくれる若い夫婦との関係や今の仮住まいも、現在であるのに既に失われつつある儚さがあり。
何度も現われる海辺という場所自体が、記憶の岸辺のようだ。
名付けがモチーフとして2度程出ていた気がする。
スペイン内戦後の物語なのは分かるけれど、どの部分がそれを指示しているのかは掴めなかった。
過去を覚えている側の都合で記憶を取り戻させようとしているように見え、未完の映画を見せたことはやや暴力的だと感じた。認知症への対応と同じで、(本人が積極的でないのに)身体が既に手放した記憶を押し戻すのが幸福かどうかは疑問だ。
線の記憶を生きるのが多数派の世界では、点の記憶で生きる人間は生き辛く、何度も忘れた過去を尋ねられると責められているようで、ついギャップを埋める為に無理な作話を行うようになる。もしくは、無意識で行っている作話の綻びが話すことで露呈して、自分の物語世界が危うくなる。
把握外の部分を作話補完する作業自体は、錯視と同様で健常者も行っているけれど、それが意識されることはまず無くて、記憶喪失者のそれだけが問題とされる。
死んだ家族などの辛くても忘れたくない記憶も、この映画では扱っている。生き別れた親子や別れた夫婦など、思い出したいかは微妙だけど消えない家族の記憶のことも。
一緒に居た時間を思い出してほしい、記憶を共有していたい、混じりけの無い娘からの一瞥を最後に見たいという気持ちも、やはり切実だ。
映像を撮る人は、記録と記憶をどう残すかについて、いつも考えている。そこにフィルムというメディアや歴史のことも合わさって、監督にとって本質的で切実なテーマを扱っているのだと感じた。
老いについての描写は不足しているように思った。皆元気過ぎて。老いよりも老成についてでないのか、それなら少し伝わった。
入れ子構造が複雑なので、一度観ただけでは細部は把握できず、その複雑さはさておいて、情景や表情の美しさを只々いつまでも眺めていたかった。
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