ソビエト蓮舫

パラダイスの夕暮れのソビエト蓮舫のレビュー・感想・評価

パラダイスの夕暮れ(1986年製作の映画)
2.4
会話のセリフが極端に言葉少なく、主要人物がいずれも、無表情で仏頂面。
まるで、初期の北野武映画のようだが、北野映画と比して「静」の部分がず〜っと続く感じで、
逆に「動」の部分はザックリと差し引いたような映画。

感情の昂ぶりや起伏は、極力抑制され、
一見すると何を考えてるかわからない者同士の、
男女二人の付きつ離れつな恋愛物語だが、
よ〜く見てると主人公の男性は、仏頂面の中にしっかりと喜怒哀楽が滲み出ていて、
わからなそうで丸わかりな、不器用なだけのオジサンである事に気づく。

対してヒロインの女性は、男性主人公よりも愛想や愛嬌がなく、
気まぐれな一面もあり、クセ強なキャラクターで、主人公を自然と振り回している。

中年のコミュ障同士、無愛想同士、貧乏同士、似た者同士のお話で、
変わり者達がこのあとどうなるのか、興味の引きはあるから、最後まで鑑賞完走できたけれど、
変わり者であるが故に、共感性はあまりなく、
むしろ二人からは、心の内を探られる事への拒絶すら感じるので、
最後まで、他人事のストーリーのまま終わってしまった感もある。

なんで貧乏なのに、新婚旅行と称した駆け落ちする金はあったのか謎だし、
国を脱出するほど追い詰められてる印象も無かった。
だいたい、なんであんな簡単に親友が作れるのか。筋金入りのコミュ障だぞ?

また、無表情での感情の機微を表現したのは、役者が秀逸だったが、
一方で、主人公の序盤の喧嘩や、終盤の暴漢とのアクションのくだりは、
身体表現としてあまりの大根演技っぷりに見えて、
わざとらしかった。
これもまた、「静」の映画であり「動」の要素は無い、無いというよりも、全く機能していない映画に思えた。

それと、労働者階級の物語としては、ある特定の人々の、個人的なリアリティは明確に出ていたが、
社会派映画としての側面は、一般化された作品にまで昇華されたわけでもなく、
特殊なクセ者達の領域を出ることは、終始、無かった。

だとすれば、これは一体、何の映画なの。おそらく考えても何も答えは出てこない。

主人公たちのセリフから推測すれば、
「先の事なんてどうでもいい」映画なのだろうし、
「気まぐれ」な映画だし、
「いちいち理屈をこねる贅沢など無い」映画でしかないなら、
それはちょっと物足りないし、上手くいくか先行き不安だ。

良くない意味で、思想が無く、途中で死んだ同僚の爺さんの方が、
よっぽど志しがあり、思想もあり、主義もあった。

そういう意味で言えば、北野映画風に言えば、

「あの二人、どっちも危ねえなあ。」
|д゚)チラッ
だった。
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