会話のセリフが極端に言葉少なく、主要人物がいずれも、無表情で仏頂面。
まるで、初期の北野武映画のようだが、北野映画と比して「静」の部分がず〜っと続く感じで、
逆に「動」の部分はザックリと差し引いたような映画。
感情の昂ぶりや起伏は、極力抑制され、
一見すると何を考えてるかわからない者同士の、
男女二人の付きつ離れつな恋愛物語だが、
よ〜く見てると主人公の男性は、仏頂面の中にしっかりと喜怒哀楽が滲み出ていて、
わからなそうで丸わかりな、不器用なだけのオジサンである事に気づく。
対してヒロインの女性は、男性主人公よりも愛想や愛嬌がなく、
気まぐれな一面もあり、クセ強なキャラクターで、主人公を自然と振り回している。
中年のコミュ障同士、無愛想同士、貧乏同士、似た者同士のお話で、
変わり者達がこのあとどうなるのか、興味の引きはあるから、最後まで鑑賞完走できたけれど、
変わり者であるが故に、共感性はあまりなく、
むしろ二人からは、心の内を探られる事への拒絶すら感じるので、
最後まで、他人事のストーリーのまま終わってしまった感もある。
なんで貧乏なのに、新婚旅行と称した駆け落ちする金はあったのか謎だし、
国を脱出するほど追い詰められてる印象も無かった。
だいたい、なんであんな簡単に親友が作れるのか。筋金入りのコミュ障だぞ?
また、無表情での感情の機微を表現したのは、役者が秀逸だったが、
一方で、主人公の序盤の喧嘩や、終盤の暴漢とのアクションのくだりは、
身体表現としてあまりの大根演技っぷりに見えて、
わざとらしかった。
これもまた、「静」の映画であり「動」の要素は無い、無いというよりも、全く機能していない映画に思えた。
それと、労働者階級の物語としては、ある特定の人々の、個人的なリアリティは明確に出ていたが、
社会派映画としての側面は、一般化された作品にまで昇華されたわけでもなく、
特殊なクセ者達の領域を出ることは、終始、無かった。
だとすれば、これは一体、何の映画なの。おそらく考えても何も答えは出てこない。
主人公たちのセリフから推測すれば、
「先の事なんてどうでもいい」映画なのだろうし、
「気まぐれ」な映画だし、
「いちいち理屈をこねる贅沢など無い」映画でしかないなら、
それはちょっと物足りないし、上手くいくか先行き不安だ。
良くない意味で、思想が無く、途中で死んだ同僚の爺さんの方が、
よっぽど志しがあり、思想もあり、主義もあった。
そういう意味で言えば、北野映画風に言えば、
「あの二人、どっちも危ねえなあ。」
|д゚)チラッ
だった。