masat

哀れなるものたちのmasatのネタバレレビュー・内容・結末

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

なんだメアリー・シェリーのvariationか。
前情報入れずに観たが、CMをチラ見する感じだと、現実と夢を飛び回るヒロインの冒険譚、よくありがちな空想アドベンチャーに見えた。

“bride”の様にぎこちなく歩く、いま生まれた女は、“ボリス”ではなく“ベラ”と言う名前だ。

こんな怪奇映画だった、とは。しかも、ピカピカに光る、殆ど“翳り”のない映像、人工的なピカピカパノラマ絵巻。
何とも、捻くれまくった歪さが、2時間21分もの長尺を、飽きさせずに魅せ倒す。
ちょうど良い具合に、挟み込まれる“見世物趣向”が圧巻。“血と暴力とセックス”が、最も人を誘惑する見世物だ、という映画本来のいかがわしさをよく解っていらっしゃるとお見受けする。

そんな捻くれた稀なる作家性と結託したのが、いまイケてる女優。トントン拍子にアカデミーまで駆け上がった彼女は、おそらく見抜く才覚を持っているのだろう。コレだと思ったら、身体を張って体当たる。
文字通り、そのパノラマの中でも身体を張って体当たり、その漲る異様さは、観る側が戸惑うほど。悦びと血のパノラマを、溌剌と行進する“bride”の地獄絵図は、悍ましくも煌びやかで、興奮し昂奮してしまう。

そんな見世物趣向と並行し、ヒロインの進むべき目覚めもはっきり提示されるから、これまた今風な女優がプロデューサーまで兼ねて“物申す!”映画への企みも、ガッチリ絡みつき、こちらへ迫ってくる。

いま生まれたヒロイン“bride”が、ぎこちなくガタガタと歩き出しながら、外へと踏み出し、世界を見る訳なのだが、ああ、コレは“女性の一生”モノなのか?と思うと、この映画の凄いところは、老いて死ぬ、のではなく、成熟するところで終わらせたところにある。
いま生まれた赤ん坊が、地獄巡りの末に発見した(ラストの)穏やかなる昼下がりの時・・・向かうべき新たな(女性の)時代を見定めて、第二章へと進まん“成熟”なる時で、穏やかに「いざ!」と終幕したのが凄い。
新世界の発見と始まりを謳い、時代の変革期の今を映し出し、この惚けた法螺話が、ラストでグッと迫ってくるのだ。

言葉を覚え、感情を覚え、喜びと哀しみを体感し、そして性の悦びを身体の芯から知る。肉体と脳が成長していくヒロイン地獄アドベンチャーの中に、はっきりと映し出した事、女優エマ・ストーンが提示したかった事、それを見事な振り付けで躍動させた手腕、グロく下衆で美しく躍動する歪な塊は、2024年の映画らしさの先端を行っていた。
無垢で純正なる感情が、成長した時、してしまった時、当然の様に気が付いてしまう“矛盾”を自滅と言う方法論を採らず、21世紀的に解決する。
しかし、なかなかの強引さで大鉈を振るう。男尊女卑な時代へ、オマエら男は山羊にでもなって、その辺の草でも食っとれ!と。その鉄槌がラスト、これまたグロく異様に映されるのだが、母なる“父”(ヴィクター)への唯一の平穏、安らぎ、一部の男性への愛情表現も垣間見せるのが、これまたイカしてる。

“bride”いや、怪物が、(北極ではないが)大海原を経由し、人間以上に人間らしさ、いや、異性間の尊さを発見し、自分らしさというより、私と言う名の・・・いま誕生した“女”と言う名のモンスター、という名の希望の物語。

あらゆる意味で、魅せ倒されます。

ついでにいうと、今や誰も使わない広角魚眼レンズや、ズームをここまで恥し気もなく使い熟す、そのスタイル、その突き通す一貫性も凄まじい。18世紀の王宮でも、違和感と共に魅力的に映ったが、この空想法螺バナでは、より縦横無尽で吸引力マシマシ。音楽の“異様さ”も気持ち悪くて、快感である。
masat

masat