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哀れなるものたちのOMIのネタバレレビュー・内容・結末

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

世界も人も歪であるということ。

美しい顔とは不釣り合いに気に入らない食べ物は口から吐き出し、覚束ない足取りで歩くと思えばその辺の廊下で粗相してしまう女性ベラ。
隣にいるのは外科医兼研究者の男ゴッド。
傷だらけのその顔はフランケンシュタインのようで見るからに不気味なのだが、それに加えて食事を摂ったかと思えば変な音を立てて口からシャボン玉のような物を吐き出す。

世界観がよく分からなさすぎる。最後まで観れるのか不安になった。私には難しすぎるのではないかと。

そんな中、ゴッドが連れて来たのは医学生のマックス。彼にはベラの記録係を任せる。
ベラは日に日に知識を吸収し、喋れる言葉も多くなっていく。次第に性の悦びまで自ら発見する。ここまで観て空っぽの機械が少しずつ学習して人間になっていくような感覚を覚えた。

不審に思ったマックスがゴッドを問いただすシーンで納得がいく。ベラは自殺した女性の死体に、その女性の胎に宿った子供の脳を移植し生き返らせた人間だったのだ。今までの言動も脳が子供であると言われればさして不思議なところはない。

ゴッドのしたことは倫理観もクソもない話ではあるのだが、彼自身はとてもベラを大切にしているようで同じベッドで子をあやす父のように見える描写もある。実際性欲ではなく父性が勝るとマックスにも話している。

そしてゴッドはマックスにベラとの結婚を提案し、なんと婚約してしまう。
しかしそこで弁護士のダンカンの登場である。婚姻契約の手続きの為、家に上がり込んだダンカンはベラを誘惑するのだ。

徐々に知識を身につけ、外の世界に強烈な興味を持つようになったベラはダンカンとの駆け落ちを実行する。まだ子供のはずなのにただ優しい男よりもスリリングな男の手を取ってしまうのは女の性なのだろうか。

そしてダンカンに手を引かれ外の世界へとベラが足を踏み入れた瞬間、今まで白黒だった映画は途端に色を持ち始める。
まるで絵画のように美しい世界の中で、見たことのない景色、初めて食べる美味しい食べ物にお酒、セックス。ベラはもう夢中で貪った。
綺麗な景色とベラの純粋に欲求だけを満たす様がアンバランスで少し気持ちが悪い。世界は意外とこんなものだけで作られているんだと言われている気がした。

ある程度の知識や言語能力が身についたものの、ベラはまだまだ"未完成"な人間である。夕食の席でうるさくしている子供を殴りに行こうとしてみたり、ご婦人との会話が妙に噛み合わなかったり。

そうこうしているうちにもベラの性的好奇心は収まることを知らず、他の男性とも関係を持ってしまう。足の付け根にふざけたタトゥーを入れている彼女を見て、遊ぶだけ遊んでそのうち捨ててやろうと思っていたダンカンに火がつく。
彼もまた一人の男なのだ。あまりにも自分に執着がないベラを、自分だけのもので置いておきたくなった。

策を練ったダンカンは彼女を閉じ込めてクルーズ船へと乗り込む。そこでの出会いがさらに彼女を変えてしまうとも知らずに。

船の中でベラはマーサとハリーという白人の老婆と黒人の若い男性と友人になる。マーサは彼女に知識を、ハリーは経験を与える。どんどん人間らしくなるベラの傍らで、ダンカンは酒とギャンブルに溺れていく。
マーサから与えられた本を読み耽るベラに激怒し、本を取り上げると海へ投げ捨てるダンカン。それに顔色ひとつ変えずにまた新しい本を差し出すマーサ。このシーンは女性の自由や解放を意味しているように見えた。時代錯誤の「女に知識など不要」と言わんばかりのダンカンの姿は酷く間抜けで、知恵を身につけ始めたベラとの対比が面白い。

船旅の途中、ハリーに連れられてアレクサンドリアに立ち寄ったベラは貧しい人々が死にゆくシーンに直面し、ショックを受ける。息絶える子供たちがあまりにも可哀想だと子供のように泣いているベラはついこの間まで食事の席でうるさい子供を殴ろうとした彼女とは別人のようだ。子供や貧しい人間は救い助けるものという常識がこの短時間で彼女にはインプットされていた。

しかしまだ未熟なベラは貧しい人にはお金をあげれば幸せになれると思い、ダンカンがギャンブルで当てた金を全て船の作業員に渡してしまう。
その金が貧民たちに行き届くことなどないとは考えれないあたりが彼女の思考能力がまだ未熟なのだと言うことがよく分かる。

ダンカンが一文無しになったと言うことはベラも同じである。次の船着き場であるマルセイユで二人は降ろされてしまう。
そこでベラは娼館に入り体で金を稼いだ。ベラが初めて自分で考え金を生み出した瞬間である。淡々と自分の今の状況を理解し思ったことを口にするベラにダンカンは激昂し、ゴッドから持たされていたベラの金を根こそぎ奪い取るとその場を後にする。

余談だが、ベラの初めての客が三擦り半で果てたことに対して笑うのを我慢したと言っていたのがとても偉いと思った。少し前のベラなら絶対に笑っていたと思う。

ゴッドから渡された金も取られてしまい、いよいよ本当の一文無しになったベラは正式に娼館で働くことになる。娼館に来る男性は当たり前なのだが性欲を満たす為だけにそこに訪れる。物のように扱われるその時間をベラは頭を使い工夫する。客とジョークを言ってみたり、体臭をチェックしたりと、不自由な娼館での暮らしの中でベラなりに多少人間として扱われる自由を己の工夫によって手にする。
そして同じく娼館で働くトワネットという黒人の女性と友達になり社会主義について学ぶことにもなりベラは更に知識を身につけ始める。
このあたりでふと気付くのだが、ベラはもう子供ではなかった。最初の覚束ない足取りで歩いて言葉もままならないベラがもう記憶の中で薄くなっていたことにびっくりする。
もうこんなに大きくなったのだな、とさながら子供の成長を見届ける親の気分になった。

時を同じくしてゴッドは末期の病に侵され死に向かっていた。マックスから呼び戻されたベラはゴッドの元に帰り、出自を知ることとなる。
そこでベラはゴッドとマックスに失望こそするがこの世界に生まれ落ち、知識をつけ、生きることへの興味が持てたことへの感謝はあると和解する。

ここのベラの物分かりの良さというか、起こったことはそれはそれ、と分別し納得している冷静さはシンプルにすごいと思ったし、一人で生きることを知り、様々な知恵を身につけた女性特有の強さみたいなものを感じた。

良好な関係を取り戻したマックスとベラは結婚式を執り行うのだが、そこにダンカンが探しあてたベラの"容れ物"'の旦那であるアルフィー将軍が乗り込んでくる。

ここで再び出自が知りたいと好奇心を覗かせたベラは彼について行く。そこで目にしたのは暴力的なアルフィー将軍の本性。彼から逃れるためにベラの"容れ物"である彼女は自死を選んだのだと確信した。性器を切除することを強要してくる将軍と対峙したベラは彼の足を撃ち抜いてその場を脱する。

動かなくなったアルフィー将軍を連れて生家に向かったベラはゴッドの最期を看取ると、マックスに頼み将軍の命を救う。何故そうするのかと聞かれたベラは「死ぬところを見たくないから」となんとも優しく正しい言葉を口にする。

しかし物語の最後、アルフィー将軍はヤギの脳を移植され四つん這いで庭の雑草を口にしている。
結局、死ぬところを見たくないと言いながらもこれでは生かしているとも言えない。ヤギの命をも軽んじている。
知識をいくらつけ、大人になったとしても、自分がゴッドにされたことに失望したと言っていても、ベラ自身も同じようなことをアルフィー将軍に施した。

思い返せば、ゴッドも父親に度重なる人体改造を受けあのような体になったにも関わらず、探究心への貪欲さ故にベラを生み出している。

人は何度でも繰り返す。
力を持った側は持たざる側にそれを振りかざす。
いくら歳を重ねようとも、賢くなろうとも、人は哀れなままである。
完璧な人なんていない。みんな間違うし、それでいい。
正しくあることは綺麗で素敵だけれど、そう生きれなくたって、それでいい。

とは言え頭の悪い私には難しい映画だったのでもう少し歳を重ねてからもう一度観てみたい。


蛇足ではあるが、娼館に訪れた男性たちの様々な性癖(?)のバリエーションが個人的にとても面白かった。
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