SANKOU

春画先生のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

春画先生(2023年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます


『日本書紀』の記述によれば、セキレイの指導により、イザナギとイザナミが交わったことで日本が誕生したとされている。
なので元来日本ではかなり性に対しておおらかな風潮があったという。
戦国時代では娯楽が少ないために庶民はもっぱらセックスに明け暮れていたと聞いたこともある。
そして江戸時代になっても、春画を始めとした性に開放的な文化はバラエティに富み、ますます盛んであったことも。
日本人の性に対する意識が大きく変わったのは、明治になり西洋文明が入って来てからだ。
我々には人前で性を開放することは罪深いことであるという意識が刷り込まれている。

さて、この映画だが春画を題材にしていることから絶対にセックスから逃れることは出来ない。
しかし何故かこの映画で描かれるセックスや、それに付随するエロチックな行為には恥ずかしさや後ろめたさというものを感じない。
これは実はとても凄いことなのではないかと思った。
元来の日本人の持つDNAに直接訴えかけてくる何かがある、とはちょっと言い過ぎかもしれないが。

大学で春画を研究している芳賀は、周りから「春画先生」と揶揄される変人として知られている。
そんな彼は喫茶店で働く弓子に、もし春画に興味があれば訪ねてくださいと名刺を渡す。
ほとんどの人はこんな薄気味悪い誘いには乗らないだろう。
が、弓子は違った。
彼女が春画に触れようとする時の手つき、春画を見つめる恍惚な表情から、彼女の内にある様々な感情を想像させられる。
春画の虜になった彼女は、芳賀からレクチャーを受け、やがて彼に対しても恋心を募らせるようになる。
いや、これは恋心などという可愛らしいものではない。
やがてそれは激しい情念へと変わっていく。

芳賀に『春画大全』の執筆を催促する辻村の存在が面白い。
かなり傲慢でふてぶてしい彼に対して、弓子は拒否反応を示すのだが、気がついたらベッドを共にしてしまっていた。
やはり彼女の中には抑えられない性への衝動がある。
そして弓子がエクスタシーに達した時の喘ぎ声を、スマホを通して聞きながら自らを慰める芳賀の捻れた欲情も印象的だった。

春画はあえて性器の部分を隠すと様々なものが見えてくるという。
そこに描かれているのはセックスという行為だけではない。
その人物の中にある情念が、春画にはしっかりと表現されている。
そしてこの映画が描くのはそんな人の情念である。
後半になるにつれ、ますます弓子は自分の欲情に正直になり、激しい衝動を抑えられなくなる。
その姿はとても原始的ではあるが、とても美しくもあると感じた。
終盤はとてもサディスティックな展開にあるが、もはやこのような展開になるのは必然と思わせるようなシナリオの上手さに感心させられた。
目を覆いたくなるような恥ずかしさはなく、むしろ性への開放に対して万歳を唱えたくなってしまう。
色んな意味で凄い作品だった。

芳賀が弓子の名前を聞いた時に思わず弓を引くような仕草をするのが印象的だった。
弓には何となくセックス時ののけぞるような姿を連想させる。
そしてそこから放たれた矢が的を射るイメージ。

弓子が何かに目覚めた時に地震が起こるのも印象的だった。
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