冒頭の小川で下着を洗う少女の背中は、気怠さと生きることの困難さに満ちる。この荒涼とした土地は身体に纏った服をこの上なく汚す。やがて年上の男が彼女の隣に座るが、冬でも臭いを放つのか彼女は臭いという。「海に行きたい」とだけ呟き、彼女は赤いキャンピングカーの助手席に乗り込む。2人の間にはほぼ会話らしい会話などどこにもなく、気怠い時間だけが流れ続ける。ロシア映画で今作ほどコーカサスの風を感じ取れる映画は近年では稀だった。そう感じるほどの岩山のテクスチャーと乾いた空気感はジョージアとの国境辺りだろうか?具体的な明示はないが、どうやらこの2人は父娘らしい。名前すら明らかにされない父娘の道程は、日本製のポルノDVDを違法に売り捌き、インターネットも繋がらない不毛の地で細やかながら生計を立てている。その上映会は権利関係で言えば違法行為なのは明らかだ。ロリコン・ポルノに出た日本人女優にも1円の金銭も落ちることはない。
然しながらイリーガルなビジネスに手を染める2人のロード・ムービーはどこか愛おしくも苦しい。ジョージアとの国境沿いからただひたすら北上し、バレンツ海へ。こんな険しい風景はあまり観たことは無いし、実際に行くこともないのだろうが、16mmフィルムの映し出す質感そのものが、風景が我々観客に雄弁に語り掛ける。土地のテクスチャーと肌触りを感じさせる。土地がある所には必ず誰かが住んでいる。荒涼とした土地にも若芽は宿るが、インターネット環境は整備されない。AIが人類の仕事を奪う云々の話もあるが、ネット環境が整備されればたちまち父娘は路頭に迷う。それは明日にでも起こる出来事なのかもしれないし、来年かもしれない。今作の背景には、旧ソ連邦崩やウクライナへの軍事侵攻があるのは明らかだが、政治的な配慮も批判も今作のどこにも描かれない。順撮りで42日間かけて撮影された今作は、映画初出演となるマリア・ルキャノヴァの少女としての幾許かの時間が奇跡的に収められる。そのボロボロの身体から僅かながら発せられる細やかな希望が、シャッターを切る刹那に凝縮されている。