独特なビジュアルで魅せる近未来SF。
スターウォーズ ローグワンの監督とTENETのデンゼルワシントンjrのタッグ。
AIを扱う物語としてこのビジュアルは胸躍る。
近未来、AIが発達した世界。
AIがLAに核爆弾を落とした事をきっかけに世界はAI共存派とAI根絶派に分かれ、戦争が行われている。
ここではAI根絶派にアメリカを、AI共存派はニューアジアとしてアジア諸国の連合国を描いている。
主人公であるジョシュアはAI根絶派の特殊部隊の軍人であり、AIの創造者でありNIRMATAの捜索と抹殺のミッションの為ニューアジアに潜伏し、NIRMATAの娘と思われる女性マヤと夫婦として暮らしていた。マヤのお腹にはジョシュアとの子が生命を宿している。
そこへ突如としてAI根絶派の兵器ノマドからの爆撃に見舞われ、マヤは命を落としてしまい、ジョシュアも気を失ってしまう。
時は数年後に移り、ジョシュアは潜伏先に爆撃を送ったAI根絶派の行動に疑念を抱き、NIRMATAの手掛かりを思い出せないと当時の記憶を偽っていた。
しかし、死んだと思われていたマヤと思われる女性の最新の映像を見せられ、再びニューアジア行きの戦闘機に乗る事を決める。AI根絶派の狙いはNIRMATAの抹殺とαOと呼ばれる兵器の破壊、ジョシュアはただマヤにあいたかった。
しかしニューアジアのAI基地で見つけたものは、見たこともない子供型のシミュラント。どうやらこの子が兵器であり、マヤの姿もない、NIRMATAの姿も。
ジョシュアと子供型シュミラント・アルフィーは犯罪者と人質という関係性から旅路を始めるが、、、
※以下ネタバレあります。
AIを題材として扱われる多くの場合は知能を持ち過ぎた結果人間を支配しようとするAI vs 人間という構図になるが、この映画が新しいなと感じさせるのはそこがAIと共存を推奨している共存派閥と根絶派閥という人間対人間になっている点だ。
この点に関しては最終的に覆る部分もあるが、一つの視点として新しかった。
また、AIは達観し知能は人を凌駕している部分もあるが、あくまでも道具としての立ち位置も捨てきれずにいる。人間とほぼ遜色ない立ち振る舞いをし、人間としても扱われながら、同時に道具としても扱われる絶妙な立ち位置を描こうとする姿勢が新鮮だった。
個人的に違和感があったのはその結末。
話の大筋の流れは正直言ってしまえばどこかで観たことのある様な凡なストーリーではあった。それ自体はなんら気にならないが、映画のラストシーン。
子供型シュミラント・アルフィーはジョシュアの娘を模られて作られたAIであり、父と娘の絆の様なものが芽生え始めていたところで別れが訪れる。父は機械であるはずのアルフィーに愛を抱き自分の命よりもアルフィーを優先して地球に帰すことになるが、相手の兵器を破壊し地球に無事帰ってきたアルフィーは屈託のない笑顔で笑った。
この笑顔が示すものは?
個人的な前段までの解釈では、子供型シュミラントとして人間が育つ過程で育まれる感情を機械が学んでいく、機械に愛は宿るのか的な話としてあった。
つまり、機械に愛が宿ったという素敵っぽい話で終わるのかと思いきや、数分前に父を目の前で失って屈託なく笑う事ができるアルフィーを見せられるとやはり機械に感情は生まれないという結末になってしまう。
あるいは戦争が終わったことに対する笑顔なのか?
しかし、この戦争はあくまで人間対人間の構図であり、映画冒頭で示されたAIが LAに核を落としたという戦争の発端の話がそもそも「人間が間違って落としてしまったものをAIのせいにした」というオチだった。
つまり、AIはただ人間に悪者にされて戦争の火種にされているだけで、この戦争が終わること、こと武力で終わらせる事が本当に幸せな結末かと言われると、そうでない事は容易に想像できる。
AI共存派はその実、大事な所でミスを犯し隠蔽する愚かな人間で、AI根絶派も騙される愚かな人間だ。
本当のところこの戦争にAIは関係なく、もっと言えばどっちが悪いかなんて明白だ。それを自分たちのせいにされたAIが、それを知りながら共存派と戦う理由は?
その真実をもって根絶派に寝返れば存在意義が認められて、AI自体を認められる事だってあり得る。
それを敢えて静観している。
このあたりがどうにも腑に落ちないが、そうであれび戦争が終わったことに対する笑顔なんて嘘だろう。