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鯨の骨のnetfilmsのレビュー・感想・評価

鯨の骨(2023年製作の映画)
4.0
 濱口竜介と共に『ドライブ・マイ・カー』の脚本を共同で手掛けた大江崇允の新作と言うことで観に行ったが、これが凄まじい映画だった。結婚間近だった恋人の由香理(大西礼芳)と破局した不眠症のサラリーマン間宮(落合モトキ)は、マッチングアプリで唯一、返信をくれた女子高生と会うことになる。喫茶店の中、赤い服を着た女性(あの)と静かに意気投合した2人は自宅マンションへと車を走らせる。この場面の間宮は明らかに女が高校生だと気付いているから淫行条例違反に当たる。しかし先にシャワーを浴びている男の欲望を嘲笑うように彼女は「さようなら。冷めないうちにどうぞ」という書置きを残し、間宮のベッドの上で薬の瓶をぶちまける様に薬物自殺(OD)していた。ここまでの10分か15分のあまりにも鮮やかな流れは今年の日本映画のベストだと断言する。欲望のはけ口として部屋に少女を連れ込むまでが完結したところで、男を木っ端微塵に打ち砕くような悲劇が待ち構える。ここまで観て私が一番感触が近いと感じたのは黒沢清の『降霊 KOUREI』である。然し『降霊 KOUREI』がまだ年端も行かぬ少女だったのに対し、彼女はある明確な死への感情を持って用意周到に間宮に禍をもたらす。余談だが間宮という名前は90年代の黒沢清ファンにとっては忘れられない特別な名前であることも忘れてはならない。

 ところが次の場面で起こる決定的なサスペンスには率直に言って違和感を抱いた。松本清張的なジャンル映画のサスペンスの定型に収めようとすれば、そこから先繰り広げられる主人公・間宮の漂流劇はトーンが合わない。偶然、同週公開となったが岩井俊二の『キリエのうた』とも構造的に親和性が感じられる。都市の中で孤独を深めた者が他者と繋がるためのツールとしてのアプリが「王様の耳はロバの耳」通称ミミというのも何だか妙で、ただただ戸惑う。孤独な夢遊病者たちは深夜未明、都市の中をあてどなく彷徨う。その中で何かとって付けたように間宮に話し掛ける凛(横田真悠)はいわば「オタサーの姫」で、バーチャルな空間で彼女は運良く男たちの欲望を回避し、スターへの階段を駆け上がる。深夜未明に浮き上がる凜は、都市の中で穴に閉じこもるあの扮する明日香とは対比的に描かれて行く。墓地で駆動する通称ミミは『ゼイリブ』のサングラスで、埋没する彼女の痕跡を探す様は何だか『ヴィデオドローム』のようだ。『キリエのうた』のアイナ・ジ・エンドも今作のあのちゃんもある種、現代を象徴する様な地雷系メンヘラ女子で、現在の世界線のシンボリックなアイコンとしてリアルともバーチャルともつかぬ茫漠たる世界の中を揺蕩う。脚本は完全に破綻しているものの88分、深海の中でずっと溺れているような感覚に浸る凄まじい映画で、陸で起きている全ての出来事が水深何メートルの世界で起きているような稀有な映画体験だった。
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