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月のmaiのネタバレレビュー・内容・結末

(2023年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

学歴や知識や処理速度やクリエイティビティや才能なんかの「役に立つ立たない」という勝手に作られたルールのなかで右往左往して常にデスゲームをやらされている私たち。

「排除するか、しないか?」と苦悩している時点ですでに「彼」と同じではないか?そもそも私たちは本当にそれを選択する側なのか?実は誰かに生死を決められる側ではないのか?

「あのひと臭いよね」
「あのひと仕事遅いよね」
と口にしてしまうのは自分は「あのひとたち」とは違い、他人の迷惑にならず、役に立つの存在だと「誰か」に示して自分は排除される側ではないと無意識にアピールしたいからだ。

さとくんはわたしたちなのかもしれない。
資本主義という構造のなかで、私たちは洗脳され精神を少しずつ蝕まれているのだから。

「ぼくたちは成果や目的や生産性というゴールラインではなく、そもそもの「生存」が許される場所や「ただそこにいていい」というスタートラインを取り戻さらないといけないのではないのか?」
小松 理虔さん「ただそこにいる人たち」より
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