DaysZと呼ばれるオンラインゾンビサバイバルゲームの世界で963時間過ごし、そこにあるコミュニティを追ったドキュメンタリー。
仮想現実と現実の区別がつかなくなり…、みたいな狂気的な光景が映っている訳ではなく、どう足掻いてもそこには《現実》があるからこそ、みんなちゃんと《現実逃避》としてこの世界にきているんだということが分かる作品になっていた。作中何度も製作陣は現実と仮想現実は区別しているのかを問うているし、問わずともプレイヤー達の当然の感覚として、この仮想現実は《現実》なのかと何度も自問している様子が映っている。一緒くたにすることの危険性を語る人もいれば、まるで行きつけのBARに行くような感覚だと語る人もいて、ちゃんと《現実》に内包される《仮想現実》として逃避先としてその世界を謳歌している。
興味深いのはゲーム内で銃を頭に突きつけて「怖いか?」と尋ねるプレイヤーだ。真意は定かじゃないが、その問答は仮に吹き飛ばされるのは《仮想現実》の頭だが、その銃を突きつけられる瞬間、怖いと感じるのは《現実》の頭であるはずで、それは果たして《仮想現実》と《現実》を区別できているのか? という不可能性を示唆しているようだった。
また、まるで《仮想現実》が《現実》を内包しているような錯覚に陥る瞬間もある。本作自体が、(ラスト以外)ゲーム世界での映像で描かれていて、尚且つマイクの先から犬の鳴き声や子供の声が聞こえてくるが故でもあるが、そういう感覚の手前にいる人々が多く映っていたというのもあるだろう。特に草原を何時間も走る集団の場面などで、「現実とゲームの区別が分からなくなりそうだ」と呟いているプレイヤーなんか顕著だ。そう呟いている以上、区別出来る良識はあるのだろうが、その感覚に囚われる瞬間は確かにある、そんな不安定な状態が描写され、確かに《仮想現実》が《現実》になる瞬間はあることを示していた。
それぞれがその《仮想現実》に現実逃避を求めているのは確かで、現実ではできない人殺しや戦争、冒険を体験しようとしていて、現実逃避の先にもコミュニティはあるのだ。
ただ私が感じたのは、何度も口にされる「この世界を壊してしまった」という言葉以上に、この仮想現実はこの《仮想現実》に生きる人たちの集合意識によって、化この世界は保たれているとのだと実感するドキュメンタリーだった。
余談
意図的にログイン,ログアウトの様子を使わない、UIも見せないのも些細だけど良かったなぁ そしてあのラスト。誰の部屋から見えた景色かは分からないけれど、あの景色に感じた僅かな違和感こそ、このドキュメンタリーを制作した人々が共有したかった感覚な気もする