ナガエ

フォロウィング 25周年/HDレストア版のナガエのレビュー・感想・評価

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いやー、凄かったなぁ。びっくりした。なにせ、物語の途中まで「ストーリーがまったく分からなかった」からだ。

この「分からなかった」というのは、ミステリ的な意味での「分からない」ではない。

ミステリの場合、「謎は提示されたが、解決が分からない」ということがほとんどだろう。つまり、「この謎は、いかにして解き明かされるのか」という点が「分からない」というわけだ。

しかし本作『フォロウィング』の場合は違う。「そもそも『謎』が何なのか分からない」のだ。いや、これも正確な表現ではない。「そもそも『謎』があるのかさえも分からない」という状態だった。

つまり、「何を描こうとしているのか、さっぱり分からなかった」のだ。

本作は70分の映画らしい。となると、僕の体感としては、映画が始まってから50分ぐらいはそんな状態が続いた。物語は時系列がグチャグチャになっており(その後のクリストファー・ノーラン作品を知っている身としては「らしい」と感じたが)、しかもとある事情から「ある登場人物」の認識が上手く出来ておらず(これは、僕の記憶力の問題なのか、あるいは元々そういう効果を狙ったのか、よく分からない)、かなり頻繁に切り替わる様々な断片が、一体何を描き出しているのか分からなかったのだ。

いや、断片それぞれの描写は理解できるのだが、それらがどう繋がるのかがさっぱり理解できなかった。そんな状態で50分ぐらい見続けたというわけだ。

普通なら、眠くなってしまいそうだし、実際に僕は、「訳の分からないストーリー」の映画を観るとすこぶる睡魔に襲われるのだが、本作ではまったくそんなことがなかった。それがとても不思議だ。やはりそこには、何か惹きつけられる要素があったのだろう。今の時点ではそれが何なのか上手く言語化出来ないが、解像度の低い言い方をすれば、「クリストファー・ノーランの天才性」ということなのだろう。

さて、凄いのはここからだ。映画が始まって50分間ぐらい、ストーリーがほとんど理解できなかったにも拘らず、唐突に「あぁ、そういうことなのか!」と理解が出来たのである。いや、これには驚いた。本当にその時まで、「何が描かれているのか」が捉えきれなかったのだ。しかし、クリストファー・ノーランの脚本がとても緻密だったのだろう、ちゃんと「分かる」ように作られている。

先程触れた通り、時系列がかなり複雑なので、正直今も、物語の全要素を時系列で捉え直すみたいな「完璧な理解」には届いていないと思う。それでも、この物語に秘められた「革新的な部分」についてはちゃんと理解できたと思う。イメージとしては、「『謎』と『解決』がほぼ同時にやってきた」みたいな感じである。

しかもだ、これは僅かながらネタバレになるかもしれないが、「謎」と一緒に理解される「解決」は、実はフェイクなのだ。この点もとても上手い。一体この物語はどう終わるんだろう、となんとなく考えながら観ていたのだが、まさかそういう着地になるとは思っていなかった。

最後の結末を知った上で、全体の物語が果たして破綻なく成立しているのかとざっくり考えてみたが、正直良くわからない。細かい要素が多すぎて、僕の脳内ではちょっと追いきれない感じだ。いくつか「この点はどうクリアされてるんだろう?」みたいに感じる部分はあるが、それが解消される場面が描かれていたかどうか分からない。

まあでも、正直、「面白ければいいだろう」という気もする。そしてとにかく本作は、「全然意味が分からない状態でも観客を惹きつける力が強いこと」、そして「複雑な物語なのにギリギリ観客を置き去りにしない構成になっていること」がとても見事で、最後の最後まで飽きずに観れた。

公式HPには、「土曜日のみ撮影し、1年間で約4000ポンドを費やして『フォロウィング』を制作した」と書かれている。1998年当時のレートは分からないが、4000ポンドはこの文章を書いている時点でのレートで約80万円ぐらいだそうだ。役者は大学時代の知り合いだそうで、主要な役を演じた3人は全員「長編映画初出演」のようだ。コッブ役を演じた人物は、映画は本作にしか出演していないそうで、その後一般企業に就職したそうだ。

何が言いたいかというと、「金も役者も、十分とは言えない中で制作された」というわけだ(役者の演技がダメだったとはまったく思わなかったが、もしかしたら、モノクロの映像であることで少し粗が見えにくくなっている、みたいなことはあるかもしれない)。となると、ほぼ「脚本のみ」の作品と言えるわけで、そう考えると改めて、クリストファー・ノーランの凄さが理解できるように思う。

この「脚本のみ」という連想で、濱口竜介が思い浮かんだ。彼が専門学生時代に撮った映画『親密さ』が、まさに「脚本のみ」と言える作品だったからだ。その後の活躍や評価なども考えると、どことなく両者に近いものを感じる。作風は、まあ全然違うと思うけど。

さて、内容紹介はしないことにするが、これから観る予定の人に、ネタバレにならない範囲で「鑑賞上の注意」みたいなものを書いてみたいと思う。


●物語は基本的に、「ビルが刑事に話している内容を映像的に再現している」という設定になっている(ビルがその場にいないシーンも存在するが、それについては「聞いた話」か「ビルの想像」と解釈するのがいいと思う)

●時系列がとにかくムチャクチャなので、「提示された時点では理解できないシーン」も多々存在する。それらは後から分かるはずなので、なんとなく覚えておいて混乱しすぎないようにする

●時系列がグチャグチャでも理解できるように、「断片同士の繋がりを示唆する要素」が随所で提示されるので、それらは頑張って取りこぼさないようにする(よく分からなかった描写もあるが、大体分かりやすく提示されるので、観ていれば大体拾えると思う)

●メインの登場人物は3人で、それ以外の人物にはほぼ注目する必要はないと思う


こんな感じだろうか。

さて、僕は今、「(ビルがその場にいないシーンも存在するが、それについては「聞いた話」か「ビルの想像」と解釈するのがいいと思う)」という書き方をしたが、この点が、全体をきちんと理解するための大きな障害と言えるだろう。物語の提示のされ方が「ビルの証言」という形になっている以上、ビルが直接見聞きしていない点に関しては「ビルの捉え方が必ずしも真実とは限らない」ということになる。ビルが関わらないシーンは決して多くはないが、全体の構図を理解するには重要なポイントだと思うので、それ故に真実が確定しないような感覚がある。

まあ、そもそも真相を設定しているのかも含め、クリストファー・ノーランはその辺りのことについて基本的に語らないので、実際のところどうなのか分からないわけだが。

ほぼ脚本の力だけでここまで映画は面白く作れる、ということを示した、天才の出世作である。ホント、さすがクリストファー・ノーランとしか言いようがない。
ナガエ

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