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悪は存在しないのMeguのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.3
観終わった後に率直に思いました。
「すごくいい作品を観た。」と。
あぁ、これだから邦画って素晴らしいしたまらないなと思いました。

観終わった後にがつんと頭を殴られたような感覚になったけれど、同時に凄い作品を観たと頭の中が多幸感でいっぱいになって、自分の言葉や感情がフル回転でした。
たぶん、本当にめずらしく長いレビューになります。


最初から最後まで映像が綺麗、音が美しい。

全体的に自然を優美にフォーカスしている贅沢さを感じました。
ですが時に自分が植物や車、人になったかの様なカメラワークになったり、長回しして撮影しているんだろうなだからリアルだなと思う印象があって。
ドライブ・マイ・カーの際にも感じていたのですが、車内でのシーンはとても印象的でしたね。車という密室で、だけど程よい距離だからこそちょっと素直になれちゃうみたいなの。

あと光。すべての光がずっと綺麗だった。
車のライトから始まり、水辺に反射した日の光、夕日、懐中電灯の光。
そして霧かな、濃淡が物語の印象操作かの様に、気持ちを表す対比かのように感じて。
そのくらい自然の描写が多くて。本当ずっと。
自然の匂いが今にもしそうでした。

歩く音や車の音、木を切る音などが印象的だったけれど、後半はそこにBGMが重なってちょっと不協和音みたいになるのも逆に心地よかったです。セリフじゃなくて、人じゃなくて、その音自体が物語っているっていう感覚。


ただでさえ視覚と聴覚がすごく刺激されていたのですが、更にストーリーですよね。

少し皆様の感想をさぁっとみて、監督のインタビューを拝見して。
考察も調べようかなとも思ったのですが、そんなの関係なくシンプルに自分の感覚をアウトプットして残しておくことに意味があるかなと思いました。

ラストのシーンすごく賛否というか、観た人の捉え方によってすごく変わると思うんですよ。

なので私の感想として、タイトルの「悪は存在しない」もふまえて思う事。
巧は一般的な良い・悪いではなくて自分の判断で最善を選んだんだと思いました。

今作って村の人と東京の人の対比という印象だったと思うんです。
で、普通にみていたら壮大な村に事業目当てのグランピング施設建設予定。どうみたって東京の人が中途半端で悪そうじゃないですか。

でも知らない事って実は悪い事じゃないと私は思うんですよね。
自分が知らないことがあったという事実を知った後に、それでも相手を知ろうとしない事が相手との溝を生み衝突を生むと思います。

最初は適当だったかもしれないけれど担当者は説明会で詳しく村の状況や村の人たちの思いを知った。
会社の社長も、いちビジネスマンとしてそこだけ切り取ればたぶん合理的な話をしている。

巧は自分の感情と事実を切り分けられる印象がありました。
でも、それでも村の人です。誰よりも山のことを知っている人です。


「(鹿)どこかいくんじゃないですか。」
動物は山ならどこでも生活できると思っている都会の人。
動物にも習性や特徴がある事を知っている山の人。

私は巧と担当者二人とはみている視点がそもそも違うんだなと思いました。車内での会話はそれを痛いほど痛感しました。

高橋と黛の車内での会話も印象的でしたよね。
「お前」って女性を呼ぶ人は彼女や奥さんも呼ぶと思った黛。
大切な人には大切だから対応も言葉も丁寧にするに決まっていると思っている高橋。
お蕎麦屋さんの感想だってそう。


歩み寄ろうと、わかろうとしても、それぞれの視点だけでは限度があります。想像力や共感力って、見聞きしたり自身での経験がないと基本的には培われないものです。

どちらが悪いんじゃないんですよ。
でも住む世界が違うんだ、きっとわかってもらえないんだ、という感覚は時として静かに絶望を呼びますよね。諦めって言うのかな。


良い/悪いって同じ抽象度なんですよね。
その価値基準って人によると思うんですけど、大体は一般的に良いとか悪いとか、私たちにとって良いとか悪いとか。
なんか自分の話をしているようで自分じゃない他の人の意見もふまえたり影響されたりして人って物事の良し悪しを判断している事が多いと思います。

巧の言葉で印象的だった「バランスを調整する。」(だったかな?)
私の印象として巧は自分の感情と事実を切り分けて判断している人だと感じていました。裏がないという印象。できること、できないことの分別があり、欲しい物は欲しいと言い、自分が悪かったらちゃんと謝る。
何考えているかわからない淡々な人というよりかは、考えていることと行動が同じ人という印象でした。

(今持っていないから)高橋に「煙草吸う人?」って聞いて煙草をもらう。
でも車の中には自分の煙草があったから運転中に自分の煙草を吸う。
高橋が驚いていましたもんね。あれ、持ってたの?みたいな風に。


最後のシーンはどこまでが事実なのか幻想なのかもわからないけれど。

花ちゃんのことがあった、黛がけがをした、手負いの鹿をみた、高橋が鹿の元に声を出して向かおうとした。

これから変わりゆく事象に対して受け入れ歩み寄ろうとしてバランスを取ろうと検討してみたが、これらの状況がサインの様にこのまま進めていくことは均衡が保てないという判断になったのかと私は捉えてしまったんですよ。

あと、本当にこれは私の感覚ですが。
手負いの鹿は人を襲うって話をしていたけれど、花ちゃんと鹿を目の前にして高橋が声をだしてかけよろうとした。

なんかそこが大きくトリガーになった気もしました。巧の。
だから巧の大切にしているバランスをとる為にああなったのかな、と。

でも高橋からしたら手負いの鹿なんてわからないし、鹿は襲わないし臆病って印象のが強かったかもしれないし、花ちゃんをみて安堵したかもしれないしなんとかしようとしていのかも。

でも巧からしたら、山の常識からしたらどうにもできないと思っていたのかもしれないし、動き出す高橋に手負いの鹿の話をしたけどなっていう気持ちもあったかもしれない。

真相はわからない。
そもそも両者がいる場所が違うし、誰が悪いもないかもしれないって本気で思っちゃったんですよね。

高橋が歩いている時は霧が濃く、倒れた瞬間に濃度が薄くなったのは忘れられません。
要になったシーンが残酷にも映像美としても美しく感じた作品でした。
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