IT技術者のギャレスが連行されたのはとあるビルの一室。
そこでディーナとエイモスと名乗る当局者から尋問を受けることに。
彼らはギャレスが強く関心を寄せる9歳の女児の素性を聞き出そうとする。
ギャレスは拒否するものの女児への虐待を疑われ、止む無くことの真相を少しずつ語り始める。
彼の口から語られるその女児=チェリーの物語はにわかには信じがたいもので…。
2022年公開の低予算B級SF。
完全にインディー作で、約90分の本編は30分x3の3幕に分かれていて舞台劇の様な雰囲気が強い異色作。
登場人物はほぼ4名で舞台もビルの一室が全体の9割を占めていてアクションやサスペンスといった要素とは無縁でほとんどが会話シーンで構成された小品である。
一応SFジャンルの作品だがそれらしいガジェット類も出てこない。
しかしちゃんと最後まで見れて、その上で考えさせられる作品になっているのだから面白い。
米国製低予算B級映画としてこういう作品がまだ出て来るというのは素直に安心した。
ネタバレはよろしくないと思うが本作が高度AIを巡るお話である点はオープンになっているので書くが、チェリーはギャレスが創造した人格である。
そして物語の進展とともに彼女の「意思」が大きな意味を持ち始める事もこのテーマの基本設定であると言えるだろう。
近年の作品で言えばやはりアレックス・ガーランドのEx-Machinaが一番近いだろう(実際本作は同作にインスパイアされたのかもしれない)。
人によって生み出されたAIが「人格」を持ち、人を超える進化を遂げた時に何が起きるのか、被創造物と創造主の関係は絶対なのか…等など。
Ex-Machinaはその点を心理サスペンスに絡めたファムファタル&ノワールとして描いて見せた訳だが本作は同じテーマでもかなり異なるアプローチで、二番煎じと言った気配は全くない。
それは本作ではAIであるチェリーに与えられた役割=目的がはっきりと描かれているからだ。
クリエイターのギャレスはある動機からチェリーを作り出したことになっているのだがその理由は社会的にも深刻な内容で、それもあってこの物語に一定の現実感を与えている。
チェリーを演じたTatum Matthews嬢は第3幕以外はモニター画面で登場するだけなのだが中々に達者。
ごく普通の9歳の女の子らしいはつらつとした雰囲気と同時にどことなく漂う違和感。
創造主ギャレスとの会話モードでは口調も変えて力関係に微妙な変化をうかがわせる辺り、侮れません。
「実体」を持った存在としてギャレスと対峙する第三幕での存在感もベテランのランス・ヘンリクセンに負けておらずお見事でした。
AIに権利を認めるかどうかという議論は現時点ではまだピンと来ないのだが本作のチェリーちゃんの「使われ方」を見ると確かに同情の余地はあるのかも。
そのテーマが本作のベースになっている「子供の権利」の問題とリンクしている訳でやはり本作はかなりシリアスなのである。
その使われ方をどう感じるかは見る側次第だろう。
しかし2024年後半の日本で問題になっているSNSを通じた闇バイトによる犯罪の抑止を考える時、本作におけるAIの利用にリアリティを感じるのも事実である。
テクノロジーの発達によりこれまでに無かった歪みが生まれるなら、その対抗策としてやはり新たなテクノロジーの導入も検討の対象であると思えるのだ。
脚本、監督、主演を務めたFranklin Ritch氏、大したものだ。
ギャレスがチェリーを産み出した理由を巡るトラウマを少しずつ明かして行く辺りの展開や第三幕でチェリーと対峙した際に下す決断の描き方など、白けてもおかしくないものなのだがちゃんとシリアスに徹したところが偉いと思う。
これが大手のスタジオ作ならもっと娯楽&ビジュアル要素を盛り込んでサービス精神旺盛な造りになるのが普通だろう。
ではその正反対ともいえる本作が魅力的に思えるのはなぜか?
それはこのミニマルでシンプルな会話劇が決して容易ではないからだ。
本作はあくまで登場人物たちのダイアローグと演技で全てを語っている。
当たり前だがこれは完全に狙った上でのことで、きっちりと脚本が練られていなければ、そしてそれを理解して表現できる演技陣がいて初めて成立するフォーマットである。
作り手の物語を提示する熱意と物語に対する自信がないとこういう作品は作れないだろう。
こういう作品がまだ出て来るのがアメリカ映画の強味でもあると思う。