各地の映画祭で賛否両論を呼んだ話題作らしいが、なるほどこれは中々に「刺激的」な出来だ。
脚本・監督のコラリー・ファルジャはフランス人の女性だが、前作「リベンジ」は男たちに暴行されて命を落とした女性がよみがえって復讐を果たすバイオレンス篇だった。
女性クリエイターの暴力映画ということもあってフェミニズム的な匂いを漂わせながらもアクションとバイオレンス描写が結構ストレートで流血の度合いが凄まじくて記憶に残った。
本作はLAでセレブの女性が加齢により、その位置から滑り落ちようとした時にすがるような思いで手を出したある民間療法の効果とその副作用によってとんでもない事になって行くお話。
上映時間は2時間20分程度とジャンル系のお話にしては長いのだがそれほど気にならなかったのはテンションが高く出来ているからだな。
内容は基本的にSFなのだが、作品としてはあくまでデミ・ムーア演じる主人公、エリザベスが謎めいたSubstance=「物質」と呼ばれる液体を自己投与して「新しいバージョン」の自分を手に入れたことで起きる肉体的、心理的そして社会的に対する視線の変化を描くことに重点が置かれている。
この新しい自分への変化、そのプロセスとルールの描かれ方はかなりクローネンバーグっぽくて中々気色悪くて面白い。
普通、若返りと言うと自分の容姿が若く変貌するのが従来の描かれ方だが、本作は全く違っていてかなりユニーク。
その一方で肝心のSubstanceの中身、製造者の正体とその目的に関してはほぼ言及がない。
その点で決してリアリティがある設定にはなっていないのだが本作の狙いはそこにはないということなのだろう。
2時間半のほとんどはエリザベスとその「別バージョン」であるスー(マーガレット・クアリー)の共存関係と確執を描くことに費やされている。
「リベンジ」では完全に敵として描かれた男性の存在は本作ではあくまでバックグラウンドに落とし込まれている。
例外はエリザベスとスーのエクササイズ番組のプロデューサーであるハービー(デニス・クエイド)だがその醜悪さにはえげつないものがあるが敵扱いにはなっていない(しかしハービーという名前が示唆するのはもちろんハービー・ワインスタインで、それが故にあのキャラ描写であるのは明らかだろう)。
あくまで本作におけるサスペンスはヒロインのエリザベスとその分身たるスーの両人による自己投影と自尊心の揺らぎから生じているのだ。
ただ、その要因は芸能人としてスポットライトを浴びて来た地位が加齢による人気の下降により失われることへの焦りと肉体の衰えと「美」の喪失への恐怖であり、そこには若さとそれが具現する美を絶対視する社会全般の確固たる価値感が厳然として横たわっている。
かと言って、エリザベスをそんな社会の犠牲者に仕立て上げていない点は賢明だろう。
事実、Substanceの効果に頼ったのはでエリザベス自身の判断であり、劇中では自分の行動を客観的に見つめ直して依存に歯止めをかけようとするのだが「美と若さ」による万能感に屈してしまう様がしっかりと描かれている。
このあたりの信ぴょう性は女性の視点によるからか説得力が感じられる。
物語は中盤以降、急速にトーンが変化していく。
共存関係にあるエリザベスとスーの関係はスーがその若さと美貌を享受する時間を一方的に伸ばしたため、エリザベスの生命力の過剰な搾取という形で破たんを始め、遂には阿鼻叫喚のクライマックスへ突き進んでいく。
エリザベスとスーの間に心理的な緊張が高まる展開と後半の肉体変容によるボディホラーへの転調がそれでも不自然になっていないのはやはりデミ・ムーアの熱演の賜物だ。
年齢相応(61歳)の裸体をありのままに披露することでエリザベスの心理状態と行動に説得力が生じているのはもちろんだが後半の特殊メイクによってフリーク化した姿がそれでも血が通って見えるのは全てをさらけ出して見せた前半があっての事だ。
その部分はクローネンバーグの「ザ・フライ」のジェフ・ゴールドブラム以来の熱演といって過言ではない。
ラスト10分の描写は飛躍しすぎだという意見もあるが、逆にあの部分を描いてこそ、という気もするのでそれは見る人次第かな。
血糊の量は「リベンジ」の十倍以上だろうが、あそこまで行くとホラーというよりファンタジーにも見えて来る訳でエンディングは正にハリウッドのショービズ界に対する皮肉にも見えて面白かった。
内容的には女性向けの肉体ホラーなのだが、女性が見てどう思うのか興味が湧くところだ。
近年、アメリカ映画ではラブシーンやヌードシーンが減ってきているらしいが、本作や「哀れなるもの」を見ると、「必然性がある」ヌードシーンがいかに効果をもたらすかを強く認識させてくれた気がしてちょっと嬉しかった。