ニャーすけ

アイアンクローのニャーすけのネタバレレビュー・内容・結末

アイアンクロー(2023年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

予告編の時点で相当期待値が高かった作品だが、まさかここまでの傑作だとは……。先日観た『私ときどきレッサーパンダ』もとても良い映画だったが、今年のベストはもう本作で確定。プロレスラーの業についての物語として、あの『レスラー』に勝るとも劣らない。

まず印象的なのがやはりザック・エフロン。なんだあの体! 『レスラー』でのミッキー・ロークの肉体改造もかなりのものだったが、正直それとはレベルが違う。端正な顔立ちこそ青春映画のスターだった頃の面影があるものの、首から下はあのマーヴェルのハルクが実在しているようにしか見えず、そのあまりのアンバランスさには遠近感が狂ってくる。
しかし、このケヴィン・フォン・エリックをエフロンが演じることには必然がある。ケヴィンは凄まじい肉体を誇りながらその内面はひどく繊細な男(しかも童貞)で、実はプロレスで活躍することよりも兄弟でずっと仲良く暮らしていくことを一番に望んでいる。そんな最愛の弟たちをひとり、またひとりと失っていく彼の絶望を体現するには、エフロンの憂いを帯びた仔犬のようにつぶらな瞳が必要不可欠だったとしか思えない。これは単なる“ハマり役”どころではなく、もはや憑依の域だ。

ケヴィンを初めとするフォン・エリック兄弟がレスラーとして頭角を表していく過程は、純粋に青春サクセス・ストーリーのノリで楽しめる。スポーツ映画のクリシェであるモンタージュをも巧みに取り入れた痛快な編集に加え、ブルー・オイスター・カルトやトム・ペティ、ラッシュといった泥臭いロックンロール/ハードロックも本作の世界観に完璧にハマっている。
「有害な男らしさ」を体現するフリッツ・フォン・エリック(ホルト・マッキャラニー)の実にアメリカ的な男根主義の悪影響で、徐々に精神を病み、それぞれ死に向かっていく兄弟の悲劇を描く省略の手法が恐ろしい。彼らの自死や事故の瞬間を意図的に端折っているため、さっきまで活き活きとしていた人間がシーンが変わったらもうすでに死んでいたり四肢が欠損していたりと、普通に撮るよりもよっぽどおぞましく厭な気持ちにさせられる。『マーサ、あるいはマーシー・メイ』は凡作としか思わなかったが、監督のショーン・ダーキンの演出家としての進化には驚きを禁じ得ない。

その題材から、本作は所謂「毒親」の狂気や有害性を、ある種ホラーなどのジャンル映画のフォーマットでエンタメ化しているようなパブリックイメージがある(事実、鑑賞前は自分もそういう作品だと思っていた)だろうが、物語終盤からはまったく異なる色合いを見せ始める。YouTubeで公開されているインタビューによると、どうやらダーキンは元々フォン・エリック兄弟の熱心なファンだったらしく、だからこそ死者を冒涜するような作劇にはならなかったのだろう。
まず、兄弟最後の犠牲者であるケリー(ジェレミー・アレン・ホワイト)が拳銃自殺をした直後、彼が三途の川を渡っていく大胆な展開が始まる。彼岸には彼に先立って亡くなったデヴィッド(ハリス・ディキンソン)やマイク(スタンリー・シモンズ)、そして幼少期に事故死していたジャックJr.までもがおり、ケリーは彼らの歓待を受ける。『つぐない』という映画では、ある老作家が過去に犯した過ちのために離別を余儀なくされた姉とその婚約者を想い、その贖罪として自身の新作に彼らの「実在し得なかった幸福な日々」を創作した。フォン・エリックの人々に共感した監督は、彼らの鎮魂のため、『つぐない』と同じことをやっているのだ。
一方、すべての元凶である父親とも訣別し、とうとうひとりぼっちになってしまったケヴィンは、庭で遊ぶ息子たちを眺めながら、兄弟のことを思い出し静かに涙を流し始める。父親の異変に気づいた子供たちはすぐさま彼に駆け寄る。そこで交わされる親子の会話こそ本作の白眉だ。
「ねぇパパ、どうして泣いてるの?」
「いや、パパの兄弟はもうみんないなくなっちゃっててね、二度と彼らに会えないと思うと悲しくて仕方がないんだ。ダメだよな、泣いたりなんかして。男らしくないよな」
「悲しいときは泣いたっていいじゃん。僕らなんていっつも泣いてるよ」
家父長制という前時代的な家族の在り方にずっと苦しめられてきた男が、また新しい家族のおかげでついに“フォン・エリックの呪い”から解放され、さめざめと泣き崩れる姿には本当に心震わされた。エピローグで映る、現在のケヴィン本人とその家族との集合写真がもたらす余韻も温かで優しい。

(※ 2024/05/16 追記)
最近は同じ作品を劇場で2回も観ることは滅多に無いのだが、この映画は好きすぎてまた観に行ってしまった。そしてやはり今年のベストは本作で揺るがないなということを再確認。
また、今回行ったのは高校時代『レスラー』を観て衝撃を受けたのと同じ劇場で、その感慨深さもあって評価を更に上方修正しました。
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