映画漬廃人伊波興一

恋恋風塵(れんれんふうじん)の映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

5.0
90年始め、候考賢はメロドラマという大河に『恋恋風塵』という橋を架けて見事にその流れを分断させた。



橋が完成すれば誰しもが大いなる幻想を抱く。
特に渡り初(ぞ)めの時など、そこを通ってもたらされる計り知れない利益の皮算用に目が眩む事だろう。
中には『これならどんな装甲車でもびくともせんわい』などと豪語する気楽者もいるに違いない。
ですが多くの橋はやはり長い歳月を経ても旧態依然のままで、橋の上を運ばれてくる文化や利益は、その下をくぐり抜ける河と同様に、ただ通り過ぎていくばかりなのです。

100年以上の映画史の中、そんな橋がメロドラマという名の河にどれだけ多く架けられてきた事か。
ですが歴史の寓意は突然起こり得ます。それが映画の鷹揚さというもの。
しかもアジア圏の映画群から架けられた1本の映画の橋によって。

候考賢と書いてホウ・シャオシェンと誰もが読める契機となった1989年・20世紀末の映画界に現れた『恋恋風塵』という台湾映画がメロドラマの河の流れを完全に分断したのです。

兵役によってあっさり引き裂かれる若い男女の悲恋ですが、そんな要約には収まりかきる筈もない型破りな語り口は、繊細で大胆、初々しくありながらも大家の風格がみなぎり、暴力的でありながらもこの上なく甘美的。
そんな、ひとつの画面に真反対の形容詞が何の違和感もなく混在する奇跡の内容を、日本初公開から遡る事1987年の香港国際映画祭に観光に行った友人から(とにかく、そんなスゲぇ映画なんだよ)とだけ聞かされていた私は、二年後の新宿で初めて観ました。

それがどれほどの衝撃であったか。
既にご覧にったら方なら言わずもがなですが、では何故30年後の2020年の鑑賞第一作に『恋恋風塵』のデジタルリマスター版を選んだのか?
それは上記の友人が台北で知己を得た台湾の作家・朱天文(チュー・ティエンウェン)この夏の東京五輪に連れてくるかもしれない、と聞かされたからです。

元来、その友人は、こと映画に関しては派手な虚言癖、誇大妄想の持ち主ですが単純な私など、この報せを聞いただけで興奮を抑えるのは困難極まりない。

もしかしたら、あの候考賢映画の美貌脚本家を紹介して貰えるのかもしれないのですから。