カステラ

毒のカステラのネタバレレビュー・内容・結末

(2023年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

ウェスアンダーソンは特に言語による細かな描写を重ねていくことが好きなタイプだと思っていたが、考え違いをしていた。
むしろ非言語的感情を強調させるために、台詞を言語を(これまたウェスアンダーソン特有の)端正な調度品やともすれば頼りなく見える”セットらしい“セットと同列な「飾りつけ」に引きずりおろしているのかもしれない。(「飾りつけ」というと貶めすぎたようにもおもえるが)

分け隔てなく発声される「地の文」と「台詞」に、四方八方から写されその度に現れたり消えたりする「透明なセット」(透明なのはカメラではない!)や舞台装置と黒子は全ての場面においてメディアの横断を意識させる(字幕で見たので、「ぼくはとびずさった」だけでも複数の描写-つまり演技/台詞(場合によっては“台詞”ですらない描写)/字幕-が同時に発生する)。

これらの過剰な描写は、一つの不透明なそれでいて明確な罵倒に収斂することでその毒性を、その言葉自体に収まらない毒性を、演技では捉えきれないかもしれない毒性を、際立たせようとしている。
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